「ほっ」と。キャンペーン

意識は永遠に…

娘が中学に入学した頃、娘と同学年のお子さんを持つお母さんと近所で出会うと


「お嬢さん、クラブはどこに所属しているの?」


とよく質問されました。


娘は、幼い頃から「解剖」に興味を持っていて「生物部」が充実している学校を娘が選んで受験し、入学し、迷うことなく「生物部」に入りました。

しかし私が「生物部」と答えると


「あら、文化系クラブなのね。お母さんそれでいいの?」

と言われたこともありました。

その意味がわからなかったので疑問に思い質問すると

「うちは体育会系じゃなきゃダメだと言い聞かせているから、そういうクラブに入ったわ」と。


こういうやり取り、1度や2度ではないのです。


娘の学校での保護者会で、顔合わせの保護者自己紹介の際にも

お子さんが、いわゆる文化系のクラブの方の中には

「文化系のクラブでお恥ずかしいのですが…」

と仰る方もいました。


何故、体育会系でなければならないのか?


と質問する私もかなりマイノリティなのかもしれないですが、


それは「就職する時に有利だから」


という答えが返ってきたものです。


昨年12月に自ら命を絶った女性(ご遺族は過労死であると訴えてらっしゃいます)、まつりさんのツイートを、私はたまたま読むことができました。

(現在は鍵がついています)

彼女の

「何故体育会系出身がもてはやされるのかわかった。」

というツイートには、体育会系はシゴキに耐えられるとし、しかしその中で生き残るのは元来タフである人間だけで、大半は崩れてゆくという内容のものがありました。




「いい会社」とはどんな会社のことを指すのでしょう?




辛辣な言い方ですが、「過労死」を作り上げているのは、私達親の責任でもあるのではないかと私は考えています。


子育ては、日々試行錯誤です。

間違いも、また、正しいこともないと私は捉えています。


子どもが病になっただけで、親は自分を責めてしまうものです。

親もとても弱い立場であると思います。

子供を庇護するという親の思いが、実は逆転していないかと感じることもあります。

そういう意味でも、自分の「弱さ」に気づくことも大切だと思っています。

そしてそれを受け入れた時、今まで自分が思い込んでいた様々な事柄からも、少しづつ解放されてゆくのではないかと考えます。


近頃の大学は親向けの「就活」説明会まであります。


「子どもが就活だから毎日喧嘩をしてる」というのを聞いたこともあります。

何故喧嘩をするのか、私にはよくわかりません。


もちろん「いい会社」に子どもが入社すれば「安心」だと思う親心は想像できますが、

果たしてその「安心」とは、誰がするものなのでしょう?


ところで、この頃心がざわついているのを感じるようになったのですが、それはたいてい「何かと比べている」か、「見えない未来」についてのことが多いのです。

(心がざわつくと呼吸が少し乱れるのですが、それはヨガの練習でわかってきたことかもしれません)


人はいつもこうやって何かと比べ、見えぬ未来を憂いでしまうことにエネルギーを費やしているのかと悲しくなります…

(けれども、それらに気づいただけでも少しだけ気が楽になることがあります。

※大切なことは、そんな自分を「責めない」ことです。)



そして「幸福感」とは、自分自身しかわからない、いえ、実は自分でもあまり気づけないものなのかもしれません。

幸福感…なんの「比較」もなく、あるがままを感じ、心が落ち着いている状態なのでしょうか。。。


先ほどのまつりさんのツイートの中に、職場の人と仕事の最中に外を歩いた時に、ふと感じた気持ちよさについて「幸せ」だと呟いているものがありました。


私は、そのツイートに少し救われたような気持ちになったとともに、涙がポロポロこぼれ出してしまいました。


こういうことに気づける心を持つ女性を失ってしまった悔しさです。

「退職する時に証拠を提出するためにツイートをやっている」というまつりさんの言葉。

そして、それが非公開になってしまったことについても憤りを感じます。


死は、終わりではなく、生きている者にとっての始まりだと思います。


だとすれば、まつりさんの意識は永遠で、そして過労死について、私達が考える大事な機会を無駄にはしたくないと思います。


私自身もまつりさんと同じくらいの娘、これから就活をむかえる息子に対して、正直、この社会の悪しき部分について恐ろしさを抱くこともありますが、その「恐ろしさ」の中身とは、その殆どが自分の中の恐怖に過ぎないと捉えるようになりました。


最後に、まつりさん、そして、親御さんへのお悔やみを申し上げ、親御さんの心のお痛みがほんの少しでも和らぐことがあるような社会になることを願いつつ、私も微力ながら努力したいと思います。


※過労死を作り上げているのは親の責任でもあると書きましたが、それは過労死をされたお子さんをもつ親御さんとを結びつけるものではありません。


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# by normalin | 2016-10-15 12:19 | 社会

成人の日に。

今日、息子は成人の日を迎えました。
3年前に娘も済ませたので、これで我が家には「成人」しかいなくなりました。
「済ませた」と書きましたが、何だか妙な気持ちになります。。。
私自身は式典にも出席していないし、着物も着ませんでした。
偶然にも当時バンドを組んでいた友人達も「着物は着ないし式典にも出ない」というので、その日は渋谷の飲み屋で初めて安いボトルを注文し、楽しんだのを覚えています。
だから私は「成人になる儀式を済ませてはいない」ということになりますか(笑)。

ところで、近頃は特に、必ずと言っていいほど成人式での騒ぎが取り沙汰されます。
その裏に「今の若い子はけしからん」と、さも言いたげな「オトナ達」が見えてしまうような気がするのですが、穿った見方でしょうか。
「自分達の20歳の頃はもう少しマトモだった」と思うことで、自分の何かを満足させているのでしょうか。
それとも、心のどこかに羨ましいという気持ちがあったりして。。。

さて、成人を迎えた彼ら…息子がお腹に宿るとすぐに起こったのが、阪神大震災でした。
子どもの頃に読んだ「関東大震災がきたらこうなる」という絵本そのものの光景に震えました。
(その絵本でわたしが一番恐ろしかったのは地下鉄の様子でしたが)
そして、地下鉄サリン事件が起こります。
娘が楽しみに観ていた番組「お母さんといっしょ」の直後に中継の速報が入り、「何が起こったのかわかりません」と動揺を隠せぬ記者の声が今も耳に残っています。
ちょうど父が乗っている電車だと青ざめ、父に電話をして確認したところ、父が乗っていたのはその1本前だったことを確認し、安心したのも束の間「テロ」という言葉に震撼しました。
「つわり」が酷くなり、その後も長々と続く状態になりました。
これほどまでにゾッとするニュースは初めてのこと…。
これ以上赤ちゃんを驚かせぬようにと、あまりニュースや新聞を見ないようにしていたものです。
そう考えると、今日成人の彼らはお腹の中にいる時から、何かしら「不安」な母のサインを受け取っていたのかもしれないなぁと思ったりするのです。
そしてこの年から日本は、少しだけ"明るみになった「闇」"を抱えたまま、それについては蓋をするようにして違う段階へと入ったように、私は感じています。

心理学に退行欲求という言葉があります。
幼い頃、親から満たされていないものを抱えたまま成長すると、それが病となって表れ、病に縋ることで自分のプライドを保つという。(もっと複雑で奥深いのでしょうけれど。)
とてもつらいですね。
それを何となく理解できる私にも、何か心当たりがあるのだと思いますけれど。
自己評価がとても低くなってしまうということもこれに繋がるのかもしれません。
就活では自己評価が低くなり、結果「こんな自分を雇ってくれるいい会社」と思い込むことで、更にブラック企業を生み出していると分析されていた方がいますが、少し納得できる部分もあります。
とっても悲しいことです。
と、同時に既に成人したオトナ達の責任はどこへ行ってしまったのか?と感じることも多々あります。
そして「この国は何も守ってくれない!」と怒っている私も、果たして「オトナ」なのか?と思ってしまいます。
若い頃からずっと何かに怒りながらも、その怒りを放置してきてしまった…

だから、何となく冷静にみえる息子を通して、彼らはもしかすると私よりもずっとオトナであるのかもしれないと思うこの頃。
彼らにとっては「成長戦略だ!」と叫ぶ現政権の言葉すら空虚に感じていて、
その魔法のような言葉に"縋っている"のは、実は"オトナ"を何十年も続けている人々なのかもしれないと思ったりするわけです。
それを「病(中毒)」と捉えるなら、きっと治せるはず!
と、儀式にも参加していない私が大きな口を叩いてますが。

成人よりも聖人…もとい、せめて星人になろうと誓った成人の日。
成長をし続けるのが、成人(人間)なのかもしれないという自戒をこめて…
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# by normalin | 2016-01-11 21:31 | 社会

ガザの人々と日本人

海の日。

「ガザは今どうなっているのか」というシンポジウムに参加してきました。
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日本ではほとんど報道されないガザ地区、昨年のイスラエル攻撃から1年が経ちましたが状況はますます悪化しています。

遠い国の話とは思えません。
なぜなら、日本もその攻撃を「支援」し、日本製の武器が
例えばガザの一般市民の命を奪うことになるかもしれないからです。
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シンポジウムで上映された「ガザ攻撃 2014年夏」(監督・土井敏邦)の映像の中で、
ガザの男性が「尊厳」という言葉を使っていました。
ある男性は、こんなにも酷い状況から、人としての「尊厳」を取り戻したいと。
また、ある男性は非人道的な扱いを受けていても「尊厳」を持って生きていると。

私達日本人は「個人の尊厳」が基本原理になっている憲法があり、すでに私達に与えられています。
当たり前過ぎて、今までその存在すら意識してきませんでした。
しかし、この数年、私達は危険なことをほとんど知らされないままでいたことに気づきました。
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果たして「個人の尊厳」はどこにあるのでしょうか?
そして、それはどう保証されているのでしょうか?
そう考えた時、私達もまるでガザの人々と、根底においては同じであるのだと思うのです。

ところで、戦争は被害者になることと同等に、加害者になることも同じように話されなくてはならないと思います。

私は加害者にはなりたくない。
人殺しなど、決してしたくない。

ガザは塀で囲まれています。
私達は、海で囲まれています。
ガザの、見える塀は取り払ってあげる努力を世界がしなければならないと思います。
そして日本は、抑止力などといって、自らを見えない塀で囲うことをしないように、私達国民が努力しなければならないと思います。

私は私の尊厳を守りたい。
だから、安保法制にも反対します。

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# by normalin | 2015-07-21 07:48

私流PLANETROCKは"脱・無感覚”

10年ほど前、ほぼ1年の中で立て続けに両親を亡くなした。
その別れの最中、自分も病で大きな手術をした。もし悪性の場合は余命半年。
検査の結果は良性だったものの、母が危篤だったため、
医師に無理をいって3日早く退院させてもらい、退院した3日後に母は亡くなった。
あの頃、わたしは全てに「無感覚」でいたように思う。
だから、自分の身体のことなどどうでもよかった。
処理を超えた恐怖に駆られると、人は何も感じなくなってしまうのかもしれない。
それは「死」を理解しなければならない人間にだけ授けられた能力なのかもしれないけれど。
けれども「無感覚」でいることは、自分の身体にも支障をきたし、
わたしの場合は自暴自棄になるような気がした。
これはまずい。。。
というわけで、これらの体験がヨガを始めた大きなきっかけになった。
そこにヨガがあったのは、まるで必然ともいえる状況でもあった。
出会うべき時に、出会う人に会っているものだと、振り返ってしみじみ思う。

ヨガで様々なポーズをしながら、
まるで子どもの頃のようなワクワクした感覚が蘇る。
しかし、わたしにはひとつだけ苦手なポーズがあった。
「シャバーサナ」という屍のポーズだ。
ただ、マットに寝て、身を委ねるだけのポーズ。
身体中に力が入り、リラックスするどころか頭の中で呪文を唱えるように
「力を抜く」ことに”集中”させようとしてきた。
リラックスを頭で強制するから、疲れも半端ない(笑)。
本音を言えば、目を固く閉じ、早くこの時間が終わればいいと思っていた。
しかしある日、シャバーサナに入ると身体が震えた。
心臓が高鳴り、うまくゆかないシャバーサナに苛立った。
誤魔化せない身体の変化に途方に暮れた。
涙が溢れた。
「恐い」とひたすら思った。

それからシャバーサナが少しずつ変わった。
力の入っている部分がわかるようになっていった。
目を閉じているのに、暗闇を感じなくなった。
そして、両親の墓をやっと見つめ、線香の煙の香りをかぎながら
墓に佇む自分の姿を感じることもできるようになった気がする。

ところで、わたしがずっと大切に読み続けてきたブログがある。
その方は、ご自身の病と向き合いながら日常を綴っていらした。
「(これほど死が目前にせまっても)死の準備などできない、ただ明日食べることは何かと淡々と過ごすだけ」というようなことが書かれていた。
それが最後の更新になってしまったのだけれど、この言葉はわたしに深く突き刺さっている。
せまりくる死と明日何を食べるのかが同居していることに愕然とした。
わたしは死を特別視し過ぎていたのだと。
何となく、理解したような「死」だったけれども、それはやはり理解など超えているし
そもそもそれを理解することなど到底不可能なのだと思った。
「死」は、食べることと同じように、呼吸をすることと同じように、そこにあるのだけなんだ。
ただし、死を見送る側は自分の悲しみに対し「理解」を要する時間が必要だと思うけれど。

日常の中に突如訪れる「死」を、私たちはどれほど忌み嫌っていたのだろうと思った。
もちろん、それは体験したことのない恐怖だからこそ、目を背けたいし、”忘れて”いたい。
けれども「恐怖」を受け入れることから楽になることもあるのかもしれないとも考える。

「死」を「放射能」に置き換えてもう一度。

日常の中に突如訪れた「放射能」を、私たちはどれほど忌み嫌っているのだろうと思った。
もちろん、それは体験したことのない恐怖だからこそ、目を背けたいし、”忘れて”いたい。
けれども「恐怖」を受け入れることから楽になることもあるのかもしれないとも考える。

「死」に方は、選択できた方がいい。
そして「放射能」も選択できた方がいい。
「放射能」の場合は、それを「測る」ことで避けることもできるのだから。

ずっと、ずっと「放射能」を測ってきたDELIさんという方が、政治団体を立ち上げた。
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わたしは、DELIさんの前向きな姿勢にいつも勇気をもらってきたし、
「恐がる」ことへの純粋な気持ちを大事にすることもできた。

政治団体名には「PLNETROCK」といって「ROCK」が入るし、街宣はDJつきでまるでライブのよう。
それをふざけてると思うか、思わないかも自由だと思う。
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しかし、原発事故以降、スーツ姿の超エリートと言われている方々が、
「放射能」から救ってくれないのだということについても、何度も何度も絶望してきた。
だから、わたしの中で、ふざけているのは後者の方々なのだけれども。
彼らも彼らの中に潜む「恐怖」で、無感覚になっているのかもしれないなぁ…とも近頃は気の毒に思ったりする。
そして「救ってくれる」と思いこんでいた私たちは、もっと”ふざけて”いたわけで。。。

無味、無臭の放射能はこれから何万年もこの地球に居続ける。
それに比べたら、私たちの命はほんの一瞬。
だから、自分の死後はどうなってもいいや、と思う人。
だからこそ、今の状況をはっきりさせて、
せめて未来の人々のために手がかりを残したいと思う人。
どちらも”選択”なのだと思う。

それは「死」を考えることと、似ているような気がするんだよね。
考えるというより、感じるという言葉の方が適当かもしれないけれど。

わたしは日々の生活の中で、当たり前のように何でも感じていたいと思う。
辛いことも嬉しいことも、音楽を聴くように身体全体で感じていたい。
だから、わたしは脱・無感覚で。



※音楽が無料でダウンロードできます。
PLANET ROCK 2014 Part1
PLANET ROCK 2014 Part2

わたし達の日常から生まれたリリックに元気をもらってます。
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# by normalin | 2014-10-12 20:58 | 政治

屋良朝博さんの講義文字おこし~標的の村上映会にて~③

つづきです。

「それでは、沖縄にどんな部隊が残ったかというと、次の図を参照してください。
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31MEUを支援する後方支援部隊が残ります。
長崎県の佐世保にいる船は、ミニ空母でオスプレイやヘリ、戦闘機を搭載することができます。それに地上部隊が乗って遠征しにゆきます。海兵隊はアジア太平洋地域でどんなことをやっていくのか、というと、パトロールをしているわけです。そして、31MEUは海外に出て具体的に何をしているのかというと
次の写真をご覧ください。
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これは、沖縄の海兵隊です。彼らが持っているのはマシンガンじゃないんですよ。彼らが持っているのは兵器ではなくてスコップなんですね。何をやっているのか?彼らは人道支援活動、災害救援活動を一生懸命やっています。冷戦が終わった後、彼らの仕事の大きなウエイトを占めるようになりました。
東日本大震災の時のトモダチ作戦、これもそのひとつです。
この写真はフィリピンの山奥にある小学校の校舎が雨が降る度に水浸しになるので、生コンを入れてレベル・アップしていると、そういったボランティア活動ですね。他には児童施設の子ども達と遊ぶこともしている。
これらを”テロとの戦い”と彼らは言ってます。なぜ、これがテロとの戦いなのか、わかりますか?
あの世界最強のアメリカ軍をもってしても、テロの前ではバタバタアメリカ兵が死んでゆくじゃないですか。
どんな強固な最新兵器をもってしても、どんな大きな空母を持ってきてもテロとどうやって戦うかという答えは確立されていないのです。彼らが一生懸命これをやっている理由は、テロが生まれそうな所...都市部ではなく、まずは偏狭な地域で組織を作って、訓練をし、地域の若いお兄さん達をスカウトして、隊員を増やし、そしてゲリラ化して力がついた時に、都市部に攻めてゆくという動きになるわけです。こういった一連の流れをストップさせる...もとから絶とうという措置を海兵隊はとっているわけですね。
アジア地域では、最近大きな地震や大きな津波が発生しています。去年はフィリピンで大きな台風による災害が起きました。そういう時も海兵隊がいの一番に駆けつけて、救援活動をしていると。フィリピン軍ともそういった活動をする。この訓練はインドネシアやマレーシアなどの国々とも行っています。
驚いたのは、去年フィリピンで中国軍が招待されたんですね。人道支援と災害復旧に対する演習です。中国軍が将校を派遣して、国際協力をどうやってやるかという地上演習をしたと。
中国とフィリピンといえば、南沙諸島の領有権問題で対立してますよね。しかし、それとこれとは別だということがここで実現されています。
こういう感じで、アメリカは海兵隊を使ってアジア太平洋地域の安全保障のネットワークを広げて中国も巻き込んで固めていこうと一生懸命です。

こういったアメリカの動きと、今、安倍首相がやろうしていることは逆行していませんか?

僕は逆行してると思うのです。
アメリカは、地道に作り上げている安全保障のネットワークで、いかに中国を国際社会に引き込もうかと、日々活動しています。
そういった中で、安倍首相は、勇ましいことを言ってます。
『集団的自衛権を行使しなければ、アメリカが協力的ではなくなって、日米同盟が弱まり、中国が台頭しやすくなって...』というロジックで語られますが、僕は逆だと思っていて、
海兵隊の動きを見ているとむしろ、もっとナイーブなことをやっていると。

アメリカとアジアのねっとワークを地道に積み上げているのが沖縄にいる海兵隊の役割だととらえています。

つづく。
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# by normalin | 2014-06-29 14:16 | 社会