気晴らし

近頃、わたしは「気晴らし」というものができません。
何をしていても、虚ろなのかといえば、そうでもなくて
むしろ、いろんなことが現実味を帯びてます。
そんなこと、改まって言うの馬鹿げてますけど。

昨日、入会した線維筋痛症友の会から様々な活動の記録と
病について簡単に書かれた冊子が届きました。
娘には言ってなかったのですが、娘の名前で登録してしまったので
娘が先に封を開けてしまい、顔を曇らせてました。
顔が曇るのもわかります。
ほんと、こんな現実から顔を背けたいです。

娘とザッとそれらを眺めました。
こういうの、真剣には読まないつもりでしたから。
いや、なんというか、そういう態度でいるほうがいいと思っていて。。。
この娘の病の場合は、とくにいろんな解釈が必要なんだと考えてますし。
まぁ、わたしの粗雑な性格が、こんなことで役立つとは思わなかったです。
大抵「きちんとしたお母さん」と思われてますし。
どうして人がそう思うのかわからないですが、
肝が座ってるということは小さい頃からよく言われてました。
こういうのも、生まれつきなんでしょうね。

娘は今、自分はこんな気性だからこんな病になってしまったと
否定的な想いで一杯です。
こんな風に自分を責めてしまうことも、娘ならではの気質みたい。
もうずーーーっとそんな気性の激しい娘に「そんなことないよ。」と言い続けてましたが
こういう親の発言って力ないなーと思います。。。
前回、娘のこのことについて「個性」と書いたのもそんな気持ちからだったのだけど。。。
ほんとは、親なんて微力なんでしょうね。
と、そう思ったら、もう、しょうがないじゃんという気持ちです。
生きるってそんなことの繰り返しなんですかね。
いえ、決して暗くなっているわけじゃないんです。
もう、そのままを「ただ見る」という意味でね。
後先のことは考えないという意味でね。

その病の小冊子に「改善の仕方」というような項目があって
「気晴らしをしましょう」
なんてのがあったんです。
娘と同時に
「それがうまく出来ないから、こういうことになってるんじゃないねぇ~」と笑いました。

そうそう、世の中いろんなことを言う人がいて、
それで助かったり、傷ついたり。。。
だけど、自分のことは自分にしかわからないんですよね。
娘の「痛み」もわたしにはわからない。
娘だって、わたしの気持ちはわからない。
でも「受け止める」ことができれば、それでいいんだと思います。
それをあえて何かのカタチやコトバにしなくても。
持続しなくても、一瞬でも。

ほんとは、わたしがずっと「してもらいたかったこと」なのかもしれないです。

いろんな気晴らしをしてきましたが、近頃やっと気晴らしをすることにウンザリしてきました。
娘は、わたしよりも「気晴らし」の意味を理解しているかもしれないなぁ。

毎日しているYOGAは、気晴らしにはなりません。
わたしにとって「祈り」のような時間です。
無宗教ですが。。。
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by normalin | 2010-08-24 15:56 | YOGA
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