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高円寺の反原発デモに参加して思ったこと。
若い頃のわたしを今ここに連れてきたら
「何ていい時代なの?」
と目を輝かせるかもしれない。
もちろん、震災については目を覆うとは思うけれど。
ブログやツイッターに何かを書きなぐっていたんじゃないかな。
さて、これから昔のわたしに向けて書いてみようと思う。。。
何だか誰かの歌みたいだけど、
郷愁にふけっているいるわけではないから(笑)

  17歳のわたしへ。

ねぇ、あなたがやりたいと思ってたことやってきたよ。
何だと思う?
デモ。

ツイッターというのでデモを知ったの。
スゴイでしょ?今はこんなツールがあるんだ。
ひとりで参加したわ。
やっぱりひとりで行動することになってしまうのは年をとっても変わらないね。
いや、厳密にいえばひとりじゃないんだよね。
だけど、そこには様々な思いの人がいて、
わたしとしてはもう少し色んな人とお話できるんじゃないかなと期待もしていたんだけど
数人に話しかけてみても、どうも盛り上がらなかったわ。

そう、おとなしい感じの人が大勢いたし
いわゆる顔見知り以外の人は寄せ付けない空気もあるんだよね。
あなたが今よく言っている「塀」ってやつかもしれないな。

高円寺といえば、うちの先祖代々のお墓があるところじゃない?
お墓参りの後は必ず、あの商店街でご褒美に何か買ってもらったよね。
甘くていい思い出が詰まっている商店街だったから
「やっぱり商店街の人達も承諾してくれているんだ」と思って参加したら
実はそうじゃなかったみたいなの。
それにはわたしも驚いたけれど、もっと驚いたのは
あなたが「すてき!」と思うだろうネットの中での、ものすごい非難なの。
まるでデモに参加した誰もが「犯罪者」扱いなのよ。

デモ参加者は、バカの集まりみたいに書かれているの。
まるで鬼の首を取ったみたいに楽しそうに悪口を書いているわ。
そういうのを眺めてたら、何だかその人たちが気の毒に思えてきたの。
この人たちは本当は怖くて仕方ないんじゃないかなって。

デモではプラカードなんか必要になるじゃない?
その中には、東電に騙されてたとか、そういうたぐいの言葉も見たの。
本音を言うと、わたしはそういう言葉には同意できなかった。
反原発デモに参加しているのにね(笑)。
とりあえず、原発について真剣に考えてます、という軽いノリだったんだ。
怒る?いいよ、怒って。
そう、わたしは自分に怒ってたのよ、震災があってからずっと。
あなたが今せっかくいろいろと考えているのに、すっかり視野が狭くなってたんだ。
考えることもやめてしまっていたかもしれない、とね。

あなたが読んでいる、日本がしてきた戦争の「裏」の本で
あなたが疑問に思い、憤っていることが今リアルに起こっている状況なの。
どう?悪くないと思うでしょ?
騙されたとか、そういうことじゃなくて、もっと深いところで
みんな、どうしようもない焦りを感じているかもしれないわ。
そのひとつがデモという行動に表れたとも思えるの。

けれど歩いてゆくうち、だんだん夢の中に入ってしまったような感覚になったのよ。
自分の思いがどこにあるかもわからなくなってしまったの。
そしたら、高円寺町内のおじいさんが
「迷惑だ!自分たちの家の前で騒げ!」と怒鳴ったの。
そのときに「塀」を思い出したんだ。
日本は塀に囲まれた家を持っているけれど、
それでパブリックとの境界を保っているんだってこと。
まぁ、今じゃ塀のある家も少ないけれどね。
だからおじいさんの言わんとするところは
「自分たちの塀の中で騒げ」ということなんだろうね。
塀を越えたら「迷惑」なんだろうね。
けれど、それって言い方を代えれば塀の中のことについては理解を示すけれど
塀を越えた時点で理解なんかしてやんないぞ!ということにもならないかな?
そして、夢の中にいるようになっちゃったのは、もしかしたら
わたしもデモという「塀」の中で一瞬ヌクヌクしてしまったのかもしれないね。

震災の前にはね、あなたが想像もしないようなジェットコースター並みの
経済の高揚と落ち込みがあったんだ。
それから経済は冷え込んで、終身雇用制度を前提としていた
日本の企業神話だってもうないの。
それなのに、それほど深刻な感じはしていなかったわ。
ほんとならデモが起こってもおかしくなかったかもしれないのに。

どうしてだろうね?

社会って、”繋がって”いるはずなのに「企業」という「塀」に囲まれて
見えなくなっていたのかな?
今ね、事故を起こした原発を抱えている東電が槍玉に上がっているんだけど
あそこも大きな「塀」なんだよね。
あの中にいる人全てを悪者にしているような風潮があるけれど
非難している人たちだって、、、(わたしもそのうちのひとりだろうけど)
それぞれ「塀」の中で、その中に”合う”ように
”自分”を作り上げてしまっているから、
ただ「騙された」と文句を言っているだけのように思えるし
文句を言われている方も「たまたまウチの会社がこんな事故に遭ってしまった」
なんて、お互いが根拠のない自己肯定をしているようにも見えるんだよね。

だから、やっと見えてきたんだよ。
今までが、いかに膠着状態で、思考すらパターン化されていたこととか
死の前提で生きてるんだってこととか、、、
「当たり前」のことを忘れていただけなんだろうね。

デモに参加していた人の中にね
「今まで(原発について)何も考えていませんでした。ごめんなさい。」
というような内容のプラカードを下げていた人がいたの。
わたしも同じだなぁと思ってグサッときたんだ。
そう、あなたが今憤っている
「考え、論じることを取り上げられている」のが日本なんだよね。
謝りたくはないけれど(笑)これから本気で考えようと思ったんだ。

あなたはそのうち「塀」に嫌気が差して
半分移住する気でアメリカを旅することになるのだけど
やっぱり日本という地に足をつけようと帰って来るの。
グラグラしていて、地震酔いをしている毎日だけど
やっぱりわたしはここでよかったんだと思ってる。
この一ヶ月、いや、遡ればこの3年間くらい
わたしはずっと「設定外」の場所を漂っているような感じなの。
だから自分を肯定も否定もしない勇気が出てきたところ。
デモに参加したのはね、
「自分を主役」にしたドラマに出演したということかもしれないな。

なんてね、こういう言い方をするとネットという場所は
すぐ叩かれるのよ(笑)
けれどそういう人は、他人の中でしか生きる糧を見出していないのかもしれないね。
さっき「気の毒」と言ったのは、そういうことなんだ。
いや、日本のほとんどの人たちがそういう生き方を
知らず知らずに強制されてきたのかもね。

デモに参加してから、少しずつ怒りがおさまってきたのよ。
大声も出してないのにね。
身体を動かしたということが良かったのかもしれないな。
自分で「行動」して、それを「見つめ」「思考」するという”繋がり”が
日本に欠落していたのかもしれないなぁと思ったよ。
だから地震に対して「想定外」なんていう言葉が出てきちゃうんだろうね。
こんな事になるとは思いもよらなかった、なんて言い訳しちゃうの。
恋に落ちるのも想定外なように、人生なんて想定外だらけ。
でもそれが「自然」ってもんじゃない?

あぁ、話がずれた(笑)

最後に、 、、
デモについて、こんなにもいろいろと語られたということは
皆が考えるいいきっかけにもなってるよね。
やっぱり行動(行為)は無意味じゃない。って思ったよ。
比べ物にはならないけど、ガンジーのハンガーストライキも、
マザー・テレサの病人の手を握り看取る行為も
そのときは非難されていたものね。
バカらしいって。。。

うん。わたし、バカになることにした。
こんな結論で、ごめんね(笑)。
by normalin | 2011-04-15 00:32 | 雑記 | Trackback | Comments(1)
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Commented by yanyan5050s at 2011-04-15 01:39 x
デモ参加お疲れさまでした。ネットでバカにされてもいいじゃないですか。自分の思うことを行動に出す勇気、敬服します。
bettybeatさんがおっしゃる「塀」がなくなった世界をフラフラしてると、如何に塀が脆くて安心できるのか実感してる次第です。
私は世間で言う「繋がってる」という言葉が嫌いです。「癒し」と同じぐらい嫌いな言葉。そんなこと言ってるから塀の中に入られないのだと思う。
意味不明な文章でスイマセン。色々考えるとバカが露呈してしまいました。
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