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ガザの人々と日本人

海の日。

「ガザは今どうなっているのか」というシンポジウムに参加してきました。
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日本ではほとんど報道されないガザ地区、昨年のイスラエル攻撃から1年が経ちましたが状況はますます悪化しています。

遠い国の話とは思えません。
なぜなら、日本もその攻撃を「支援」し、日本製の武器が
例えばガザの一般市民の命を奪うことになるかもしれないからです。
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シンポジウムで上映された「ガザ攻撃 2014年夏」(監督・土井敏邦)の映像の中で、
ガザの男性が「尊厳」という言葉を使っていました。
ある男性は、こんなにも酷い状況から、人としての「尊厳」を取り戻したいと。
また、ある男性は非人道的な扱いを受けていても「尊厳」を持って生きていると。

私達日本人は「個人の尊厳」が基本原理になっている憲法があり、すでに私達に与えられています。
当たり前過ぎて、今までその存在すら意識してきませんでした。
しかし、この数年、私達は危険なことをほとんど知らされないままでいたことに気づきました。
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果たして「個人の尊厳」はどこにあるのでしょうか?
そして、それはどう保証されているのでしょうか?
そう考えた時、私達もまるでガザの人々と、根底においては同じであるのだと思うのです。

ところで、戦争は被害者になることと同等に、加害者になることも同じように話されなくてはならないと思います。

私は加害者にはなりたくない。
人殺しなど、決してしたくない。

ガザは塀で囲まれています。
私達は、海で囲まれています。
ガザの、見える塀は取り払ってあげる努力を世界がしなければならないと思います。
そして日本は、抑止力などといって、自らを見えない塀で囲うことをしないように、私達国民が努力しなければならないと思います。

私は私の尊厳を守りたい。
だから、安保法制にも反対します。

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by normalin | 2015-07-21 07:48

学ぶこと。

やりたくなかった仕事をやることになった。
医療関係のものだが、職場がそうだから仕方がない。
あまりにもやりたくないから、別の仕事を探そうかと思ったけれど
そんなにも拒絶する確固たる理由が見つからないし
これは贅沢な悩みだろうと思ったので、勉強を始めた。

そう、放射能のことだってたぶん一番やりたくない、
いや、知りたくもなかったはず。
今でも別に好きではないし、
知れば知るほど絶望的になってしまう。
それに、楽観している方からはデマに毒された神経質な人と笑われるし。

けれど、何故かすんなり入ってくる。
好きで勉強を始めたものよりずっと。
そこには思いいれがないから?
というより、やらなければならないという意気込みがあるから?

タイに住んでいたころ、
子どもはまだ小さくて、バスタブに溜めた水に潜れば
ひきつけを起こすほどの高熱と、目が開かなくなるという事態になったり
デング熱とう熱帯特有の熱にかかりそうになったりと
日本ではありえない得体の知れない病で、しょっちゅう病院に駆け込んだ。
だからどうしても、タイ語が必要になって、学んでいたけれど
あれだけ親しんできた英語よりも、スイスイ頭に入ってきた。
生死に関わることだからかもしれない、と思う。
もう、すっかり忘れてしまったけれど。

振り返ると、わたしは自分から好んで学んだことがあっただろうか?

もちろん、ヨガは好きなんだと、思う。
好きだから学び始めた。
しかしこれは、好き、嫌いの範疇には納まらないもの。
ただ、出逢った。
偶然ではなく、合致したようなそんな出逢い。
だから、もともと「好き」だというものでもないし
選んだものでもない。
ヨガだけが最高だ、とも思わない。
ヨガの聖人だけが、素晴らしいとも思わない。

素晴らしいと思える人は、すぐ近くに存在する。

ただ、必要なだけ。

今のわたしに。いや、これからずっと。


日本がこうなってから、様々な知識人といわれる人々の話を聞く。
または今まで知らなかった人、、、知ろうともしなかった人の話。
見知らぬ人の”つぶやき”。
膨大な情報が駆け巡る。
真実はどこにあるのだろう?と焦り、共感し、情けなくなる。
学びとは、真実を求めるものだろう。
けれど、その裏にあるものの偽りが大きく浮き彫りになり、
それを知る度に疲弊してゆく。。。

「放射能が好き。」

と、わたしは先日ある人に冗談まじりに言った。
自分でも驚いたけれど、その人にはいつだって予期せぬ言葉を口にしている。
たぶん、心から信頼しているのだろうと思う。
きっと、自分のことよりも。

原子力を学んできた人々は、もちろん興味があって始めたのだろうと思う。
けれどあまりにも好きになると、何も見えなくなる危険性がある。
恋は盲目。
けれど、恋ではなく、愛がある人は違う。
能動的に学ぶことができると、思うから。
きっと、自分の損得のことよりも。

学ぶしかない。
子どもたちに絶望の姿だけは見せたくない。
アレクセイと泉】のように解明できないことだってきっとあるはず。
と、信じて。
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by normalin | 2011-11-23 15:22

焼きそば

仕事が休みだったので、今日の昼食はゆっくりと手作り。
とはいうものの、焼きそばだけど。
娘の大好物だし。
もうすぐセンター試験だが、娘は相変わらず大量の薬で痛みをコントロールしている。
副作用の酷い眠気と戦いながらも、図書館で過去問を解いたりしているようだ。
この病は記憶力の低下も著しいので、詰め込まねばならない科目を削ったらしい。
受験は確かに記憶力が物を言う。
試験前日は、薬を飲まないと決めているとか。
眠気より痛みに耐えた方が、まだ「書ける」らしい。
記憶力だけは良かったんだけどなー。と寂しそうに呟いていた。

美味しそうに焼きそばを食べる娘に、最近食欲が出てきたね。
なんて言ってみた。
そう、娘はもともと食が細かったが、
この数年、本当に食べることが苦痛のようにも見えていたから。

「そう?それは良かったね。」

と返してきたので

「何だか他人事みたいね。」と言うと

「いや、胃袋に対してそう思ったから。
胃袋も活動できて良かったね、ってさ。」

なるほどね。。。
ふいに襲ってくる痛みに対して、彼女はこんな風に向き合っているのかもしれないなぁ。

痛みと心中してしまうような苦しみを想像していたけれど
身体は自分自身ではない、と思っているのだとしたら
それはスゴイと思う。

苦しみを経験した人には敵わない。
わたしは、まだ言葉だけで理解しようとしているなぁ。

「楽にしてあげたい」と心から思うけれど
わたしがどんな言葉をかけたとしても、
例えば、YOGAはどう?と誘ってみたとしても
それは、時には彼女の”体験”を逆撫でしているのかもしれない。

だから、焼きそば。
彼女の大好物を作って食卓にのせることだけ。

それと・・・
こんなにも成長している娘に対して
わたし自身が謙虚になること。
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by normalin | 2011-01-06 17:56

理解

娘は、昨日から2学期が始まった。
薬の副作用もあるだろうけれど、朝がとても辛そうだ。
意識がないような日もあるので、それが心配。
それでも昨日は20分遅れでなんとか登校し、昼過ぎに帰宅した。
午後は娘と病院に行く。
2週間おきに打っていた点滴を、注射に変えてみようと言われる。
「それは○○注射ですか?」と質問してみる。
一瞬主治医が面食らうような表情になった。
わたしは、こういうことを言うので母が闘病中だった頃の病院では母が
「お嬢さんは、医学に携わっている方ですか?」と云われたりしたそうだけど
にわか知識は、医師を緊張させようという企み(笑)。
いや、娘の場合「色々な薬を試す」というものだから、本などのあらゆる情報網から
自然に薬の名称と効能が頭に入っていたらしい。
YOGAのサンスクリット語はなかなか頭に入らないっていうのに・・・。

主治医は、わたしと同じくらいの年代。
医院は、とても新しくて手書きのカルテなど使っていない。
わたしがパートをしている整形外科がいかにアナログなのかがわかった(笑)。
アナログのままじゃないと、わたしの仕事もなくなっちゃうから、
そのままでお願いしたいもんだけど。

心療内科というと、もう少し問診に時間をかけるのかと思ったらそうでもなく、
パート先の整形外科医の方がもう少し時間をかけていることもわかった。
まぁ、これも医師によって様々なんだろうけど。
ともかく、この主治医は英語が堪能らしい。
この線維筋痛症は、とくにアメリカで研究が盛んなので
英語を億劫だと感じる医師が多く、それで日本は認知が遅いという状況もあるとか。
しかしその裏には「病」という枠にいれようとしない、動きもあるらしいけれどね。

英語より、ハイテクな院内より、やっぱり「こころ」が欲しいと思いつつ病院を後にし
そろそろ誕生日の娘に、プレゼントを買ってあげた。
疲れた顔の娘から
「ありがとう。」と言われて、涙腺が思わず緩みそうになってしまったため
「これで最後かなー、後はもうあなたが”稼げる”んだから。」
なんて、憎まれ口を叩いてしまった。
「あぁ、そうかー。」
と笑う娘を見ながら「どうか、働くことができるように回復して欲しい」と思ってしまう。
先のことは考えないようにしてたのに、なかなかそうはいかないな。

夜になると、娘の担任から電話をいただく。
卒業までの単位のことや、通学途中の娘が急に痛み出して身体が動かなくなることもあるので
「お嬢さんさえよろしければ、携帯の番号を教えていただければと思ってます。」と。
それから、薬の副作用でひどい眠気があることで、クラスメートから奇異な目で見られることを
娘がこぼしていたこともあって、
「クラスメートに伝えたくないご意向でしたら伏せていきますが、どうされますか?」
という問いかけに、読み込んだ闘病ブログや娘と話したことをまとめて
「同情はされたくないが、理解はして欲しいという気持はあるようなので、
娘と話していただけますか?わたしからはとくにないです。」とお願いした。
担任の先生に理解してもらっている空気を感じて、わたしは穏やかな気持ちになる。
国語担当の担任のこの先生は、生徒からとても人気が高いらしい。
以前、先生が
「わたしは、まず生徒の表情を見ることをこころがけています。
ちょっと調子が悪そうだと思った生徒には声をかけています。」
と最初に言っていたのが心に残っている。
だって、こういう”人間らしいこと”を言う先生初めてだったんだもの。
けれどわたしの周りの父兄は「頼りない」と言う人も多い。。。

そんな担任から、娘は
「1学期よりも、顔が少しスッキリしたね。」と言われたそうだ。
わたしもそう思うし、この言葉は嬉しかった。
ただ、本人はなんら改善されていない痛みがまだあるわけだけど・・・。

今朝、起きるのがしんどい娘を何とか送り出した。
「朝はやっぱり辛いなぁ。でも、がんばる。後少しだし。」
と言う娘に何も言えなかった。
今まで「がんばれ」と言ったことはないものの、こころから”応援”したことがあっただろうか?
親として普通に、また過剰に心配はしても、、、ね。

「理解」という言葉を簡単に使っていたけれど、
その奥の深さに、わたしはまだまだだなーと思った。
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by normalin | 2010-09-02 10:54

娘のこと

この前のブログから、もうずいぶん経ってしまった。
それは、娘の’病’のことがあり、日々何とかやり過ごすことで精一杯だったのだ。
誰かと話していても、何を書いても、まるでウソばかりついているような気がしていた。
実はまだそんな気持ちだ。
けれど、書かなければいけないと思った。
娘のことを書くことで、この’病’についての理解が少しでも深まればと思ったからだ。

娘は、およそ3年前から手首の痛みを訴えていた。
いや、もう少し詳しく書けば、3年前激しい頭痛と目の痛みからCTの検査をしたのだ。
異常なしという結果に、娘は
「いっそ、脳腫瘍だったらよかった。」と泣いていた。
それからというもの、手首の痛みと腹痛、そして頭痛が交互に押し寄せるという毎日だった。
彼女の痛みは、学校で友人とトラブルがあった時や、試験がうまくゆかなかった時などで
わたしはストレスからくるものだろうと考えていた。
そもそも、もっと遡れば娘は3歳のころ「自閉症」の疑いがあったものの
幼稚園に通う頃になるとそれほど目立たなくなり、
小学校に上がれば、どの先生からも「優等生」といわれていた。

しかし、今振り返ればそれが彼女の自律神経を崩したのかもしれないと思う。
「がんばらなきゃいけない。」という周囲からの期待だ。
もちろん、わたしはそういう期待を持ったことがないし
幼い頃から何事も完璧を目指し、うまくいかないとその度に激しく自分を責める彼女を
どうやってなだめればいいものかと、悩んでいた。
そういえば、低学年の頃の娘と交換日記もしていたっけ。。。

話を戻そう。
3年前、娘の痛みの原因がわからなかったとき
心療内科に連れて行こうと思っていたのだが
娘も次第に痛みを訴えなくなってきたので、そのままだった。
心療内科が入っている病院も少ないし「合わない」医師である場合は
悪化してしまうのではないかとも思っていた。
今思えば、少し悔やまれるものの仕方がない。

この6月頃、ペンが持てなくなり、また全身の痛みを訴え、心療内科を訪れた。
その結果「線維筋痛症」と診断されたのだ。
今、多量の薬を服用し、副作用のせいで眠気が酷い。
勉強はスッパリとやめてしまった。
痛みは多少和らいでいるようだが・・・

「痛い?」

と聞かれることさえ、鬱陶しいのかもしれない。
だって、始終痛いんだものね。
それすら聞けないわたしは、どうしたらいいものかと途方に暮れる。
けれど、少しだけ娘の気持ちがわかることがある。
わたしは今、他人からの励ましや同情が聞きたくないのだ。
きっとわたしも、今「痛み」と戦っている最中なのかもしれない。

ネットでこの’病’についてとことん調べた。
いや、今まで観察していた娘の総決算のような気持ちだった。
’病’ではない、と思っている。
娘の個性だと。
実はYOGAのティーチャズトレーニングを学んでいるのは
娘がきっかけだったことも大きい。

’痛み’や’恐怖’を取りのぞいてあげたい、と。
もちろん、わたし自身の話でもあるのだけど。

痛みの’記憶’は強力だというから、その記憶を少しでも和らげることができたら、と。
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by normalin | 2010-08-21 18:34