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最近、登山がブームらしい。
山らしい山に登ったのは、中学一年生の夏。
入学した女子校での恒例行事だった。
その説明会のとき、先生がこう言った。
「山登りは班に分かれて登りますが、班の中で皆が歩調を合わせて登るように。
辛いときこそ人間性が出ます。山登りはその人がよくわかります。」
人間性まではわからなかったものの、
わたしは足が痛くて泣いてしまった友人と一緒に登り
しばらく彼女と仲良しだったっけ。
いつの間にか挨拶だけの関係になったけど。

振り返ればそんなに大層な山ではなかったかもしれないけれど
わたしは、あの登山から山登りがキライになった。
だって、登った後は下山が待ってるし(笑)
山頂の空気が清々しかったとか、全く記憶になく
ただ、苦しかったことだけを覚えている。
人間は「痛み」の記憶が強烈だというけれど、、、

昨日、高校二年生の時に学校で富士登山(山頂まで)をした娘が
「山はものすごく晴れてると、その後急激に天気が悪くなるんだ。」
と言っていた。
まるで、最近のわたしの気持ちみたい。
上向きになった後ほど、落ち込みが激しくて
自分でもどうやってそれをコントロールしていいかわからない状態。
でも、どこかでそれを傍観している状態の自分がいて
落ちていく自分を感じるとき”身につけているもの”を確認してるの。
何だか抽象的だけれど、それを確認すると少しだけ落ち着くというか。
例えば、それは大抵「未来」のことだったりするわけで。
自分が勝手に創り上げた「未来」とともに落ちていく映像をイメージ(笑)

苦労して登って、山頂の空気や美しい景色を見たらすぐに下山する山登り。
どんなときも楽しいことなんてあっという間なんだろうと思う。
そして鮮明に記憶されるのは、苦しさや辛さであって
天候に翻弄されてしまうことも、気持ちの揺れ動きにそっくりだ。
天候をコントロールすることなんて出来ないから山小屋で待つ。

そうか、待てばいいんだ。

とは思うものの、待つってすごく大変。
登るより大変。
下るより大変。

大変だと思う裏には必ず「焦り」がある。
わたしって焦る人だからなー。

”そこに山があるから登る”というけれど、
わたしは、そこに山があるけど登らない。
登るんじゃなくて、ただ見ていたい。。。

いっそ山になるべく、今日はタダーサナ(山のポーズ)を練習するかー。
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by normalin | 2010-09-05 14:02 | YOGA

孔雀

孔雀が羽を広げた姿を見たのは、小学校低学年くらいだったかな。
一緒にいた祖母が「なかなか見れないのよ」と
目を輝かせて、興奮していたのを思い出す。
でも、たぶん羽を半分しか広げてなかったと思う。。。
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タイに住んでいた頃、サファリのような動物園に行き
道路脇にいた、ほとんど全ての孔雀が羽を全開に広げていて、
最初は興奮したものの、何十羽も見るとさすがに飽きてしまった。
私たちの興奮気味な様子をニヤニヤしながら見ていたドライバーは
「暑いからね。」と。
雌への愛の表現だとか、そういうロマンチックな想いが暑さとともに一気にしおれたっけ。

最近、アーサナをする時間があまり取れなくなった。
ものすごい疲労感と、気持ちの揺れ動きが激しいからだ。
けれど、YOGAはアーサナをすることだけが目的ではない。
毎日、毎日、本当に様々な気持ちと向き合うことになった今は、
「言葉」の”意味”がより深く身にしみてゆく。
生きることがこんなに苦しいと思ったのも、初めてかもしれない。

ひとつだけ、必ずしているアーサナがある。
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                       孔雀のポーズ
                      ピンチャ・マユーラ・アーサナ

これを練習し始めて、4ヶ月くらい。
最初はもちろん全くできるわけがなく、それでもわたしは
こうした逆転のポーズが大好きなので、毎日これを組み込んでいた。
足がふっと上がってから、このポーズの虜になってしまった。
けれど、不思議なもので「できた」と思った翌日はうまくいかないことが多い。
ここがYOGAの面白いところなんだけど。

気持ちが動揺している時に、何も考えずこのポーズを取ると
身体が浮いているような感覚になる。
長くは続かないものの、一瞬で詰まっていたものがすっと通るような感じ。
ほんのわずかな時間なのに、汗が噴出してくる。
気持ちが揺らいでいるときほど、その効果が伝わってくる。

YOGAでは「意識」することが大切なのだけど、
このポーズをした後に「意識」が戻ってくる(笑)。
それだけ今のわたしは、意識がとっちらかっているのかもしれないと思ったけど。

古代インドで、孔雀は「毒に強い鳥」として珍重されてきたとか。
アーサナはひとつひとつに”意味”がある。
孔雀のポーズは、毒を排除してくれているのかもしれないと、ちらりと思った。
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by normalin | 2010-09-03 11:48 | YOGA

理解

娘は、昨日から2学期が始まった。
薬の副作用もあるだろうけれど、朝がとても辛そうだ。
意識がないような日もあるので、それが心配。
それでも昨日は20分遅れでなんとか登校し、昼過ぎに帰宅した。
午後は娘と病院に行く。
2週間おきに打っていた点滴を、注射に変えてみようと言われる。
「それは○○注射ですか?」と質問してみる。
一瞬主治医が面食らうような表情になった。
わたしは、こういうことを言うので母が闘病中だった頃の病院では母が
「お嬢さんは、医学に携わっている方ですか?」と云われたりしたそうだけど
にわか知識は、医師を緊張させようという企み(笑)。
いや、娘の場合「色々な薬を試す」というものだから、本などのあらゆる情報網から
自然に薬の名称と効能が頭に入っていたらしい。
YOGAのサンスクリット語はなかなか頭に入らないっていうのに・・・。

主治医は、わたしと同じくらいの年代。
医院は、とても新しくて手書きのカルテなど使っていない。
わたしがパートをしている整形外科がいかにアナログなのかがわかった(笑)。
アナログのままじゃないと、わたしの仕事もなくなっちゃうから、
そのままでお願いしたいもんだけど。

心療内科というと、もう少し問診に時間をかけるのかと思ったらそうでもなく、
パート先の整形外科医の方がもう少し時間をかけていることもわかった。
まぁ、これも医師によって様々なんだろうけど。
ともかく、この主治医は英語が堪能らしい。
この線維筋痛症は、とくにアメリカで研究が盛んなので
英語を億劫だと感じる医師が多く、それで日本は認知が遅いという状況もあるとか。
しかしその裏には「病」という枠にいれようとしない、動きもあるらしいけれどね。

英語より、ハイテクな院内より、やっぱり「こころ」が欲しいと思いつつ病院を後にし
そろそろ誕生日の娘に、プレゼントを買ってあげた。
疲れた顔の娘から
「ありがとう。」と言われて、涙腺が思わず緩みそうになってしまったため
「これで最後かなー、後はもうあなたが”稼げる”んだから。」
なんて、憎まれ口を叩いてしまった。
「あぁ、そうかー。」
と笑う娘を見ながら「どうか、働くことができるように回復して欲しい」と思ってしまう。
先のことは考えないようにしてたのに、なかなかそうはいかないな。

夜になると、娘の担任から電話をいただく。
卒業までの単位のことや、通学途中の娘が急に痛み出して身体が動かなくなることもあるので
「お嬢さんさえよろしければ、携帯の番号を教えていただければと思ってます。」と。
それから、薬の副作用でひどい眠気があることで、クラスメートから奇異な目で見られることを
娘がこぼしていたこともあって、
「クラスメートに伝えたくないご意向でしたら伏せていきますが、どうされますか?」
という問いかけに、読み込んだ闘病ブログや娘と話したことをまとめて
「同情はされたくないが、理解はして欲しいという気持はあるようなので、
娘と話していただけますか?わたしからはとくにないです。」とお願いした。
担任の先生に理解してもらっている空気を感じて、わたしは穏やかな気持ちになる。
国語担当の担任のこの先生は、生徒からとても人気が高いらしい。
以前、先生が
「わたしは、まず生徒の表情を見ることをこころがけています。
ちょっと調子が悪そうだと思った生徒には声をかけています。」
と最初に言っていたのが心に残っている。
だって、こういう”人間らしいこと”を言う先生初めてだったんだもの。
けれどわたしの周りの父兄は「頼りない」と言う人も多い。。。

そんな担任から、娘は
「1学期よりも、顔が少しスッキリしたね。」と言われたそうだ。
わたしもそう思うし、この言葉は嬉しかった。
ただ、本人はなんら改善されていない痛みがまだあるわけだけど・・・。

今朝、起きるのがしんどい娘を何とか送り出した。
「朝はやっぱり辛いなぁ。でも、がんばる。後少しだし。」
と言う娘に何も言えなかった。
今まで「がんばれ」と言ったことはないものの、こころから”応援”したことがあっただろうか?
親として普通に、また過剰に心配はしても、、、ね。

「理解」という言葉を簡単に使っていたけれど、
その奥の深さに、わたしはまだまだだなーと思った。
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by normalin | 2010-09-02 10:54