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コドモ と ワタシ

ワタシは、今、医療関係の職場で仕事をしているのだけど、
この間、3ヶ月の赤ちゃんを連れたお母さんが来院して
レントゲンを撮る間だけ、赤ちゃんを抱っこさせてもらったんだ。
少しグズッていたところを抱っこ。
懐かしいお尻から背中の感触、うっとりするくらい独特のいい匂い。
ワタシは少しだけ上半身を揺らしながら、話しかけ、楽しんでた。
そしたら泣き止んで、ワタシを見て笑ったの。
それを見ていた待合室の患者さんから
「あら?あなた慣れてるわね。コドモいるの?」
と言われたのだけど、ワタシはどうも子持ちに見えないらしいんだ。
そんなことどうでもいいけど、
ワタシは20年近く、子育てしかしてなかったんだなーってしみじみしてね。
そして、レントゲン室から出てきた若いお母さんに赤ちゃんを手渡すとき
胸の辺りがキュっとなって泣けてきちゃったんだ。

大変な時に子育てをしなきゃならないんだな。。。って。


実は、ワタシは今、文章なんて書きたくないほど悶々としていてね。
誰かと口論をしてしまいそうなくらい、エネルギッシュ(?)
これは本気を出してる地球からの力の影響を受けているのかもしれない、
なんて思うようにしてるけど(笑
でもね、そんな状態だからこそ書こうと思ったんだ。
書くということは、自分の立ち居地を確認できるんじゃないかって。
そう。。。
コドモを産んだあの日から、ワタシはいつも
コドモとの「距離感」を頭の片隅に置いてたことも思い出したんだ。
それはね、大好きすぎるから。
大好きなんてもんじゃないね。分身みたいに思っちゃうから、戒めのつもり。
まぁ、これは恋愛で学んだことかな。恋愛はいつだってダメダメだったけど。
「そんなのおかしいよ、お母さんなのに何で距離感なんて気にするの?」
確かにそう。ワタシはたぶん少し風変わりなのかもしれないけどね。

そんな風変わりなワタシは、高校生の頃から臨床心理士になりたいと思ってた。
けれど、希望した心理学科には進めなかった。
哲学書ばかり読んで、受験勉強しなかったからね。
でも、どかでずっと「なりたいなー。」というのがあったんだ。
だから、コドモを産んでからは児童心理学のような本を沢山読んだ。
けれど、そのうち「当てはまんないよ、どれも。」という結論になったわけ。
だって、コドモはものすごく生ものなんだもの。
それはもう、追いつけないくらいどんどん進化していく生ものなんだもの。

子育ての基礎(?)として、よく
「お母さんの感情をコドモは察知するから、平常心でいるように。」
なんていうのがあるよね。
もちろんその通りだとは思うけれど、お母さんだって感情があるんだよね。
そういうのを押し殺していたら、コドモはもっと何かを察知するんじゃない?
なんて、そんな風に思うようになってね。

データだったんだよね。心理学って。
いや、決してけなしているわけじゃないの。
ただね「他人」の行動を観察してデータをとった結果、っていうところが
少しだけ腑に落ちなくなったんだ。

そしたら「お母さんの姿」もデータ化されているんじゃないかって思ったの。
それはね、まだコドモが幼い頃タイのバンコクに住むことになった時。
あまりにも暑いから公園にも連れて行けない、
メイドさんがいるから、コドモを預けて奥様会なんていうのに出なきゃいけない、
お母さんの手料理どころか、メイドさんが食事を作ってる。。。
とかね、ワタシは「これじゃ、お母さんとして失格になってしまう。」
なんて大げさに思ったわけ。
でもね、そんなことどうでもいいことだったんだよね。
お母さんはこうあるのが正しい。
と、ワタシも刷り込まれてたんだなーって思ったんだ。
それは帰国してから、より一層強くなった。

そしてね、日本のお母さんが何だか気の毒になったの。
だって、コドモが悪い行いをするのは全て母親のせいだ、
なんていうことだらけなんだもん。
学校は学校で、決まり文句のように「ご家庭で見てあげてください。」とかさ。
ご家庭って、結局「お母さん」だよね?
あー、お母さんってこんなにやることいっぱいなの?
しかも感情は押し殺して?
やってらんないよー。
って、ワタシはいつも思ってた。

お母さん達がかわいそうだった。
勝手だけど。
ワタシ以外のお母さんは、そんな風に思ってないかもしれないけれど。

少し前にテレビで、被災したお母さんへのアドバイスとして、
ある心理学者がこんなこと言ってた。

「お母さんが恐がると、コドモはもっと恐がります。
あまり恐がらないように。」

驚いた。
こんな状況でも、こんなこと言ってしまうんだって。


だから。。。

今は、ただ、恐がってほしいと思う。

コドモの前だからといって、、、

いや、コドモの前だからこそ。


神戸の震災の後、芸人の間寛平さんが言っていたことが忘れられない。
「震災で一番驚いたのは、僕、自分だけ逃げてたんだよね。
コドモをおいて。そんなことするとは思わなかった。自分が一番可愛いんだね。」
その番組は昼のトーク番組。
皆が黙ってしまった記憶があるけれど、正直な人だな、と思った。
そして、その時、幼子を抱えていたワタシにとって
それは”母性神話”を覆す言葉で、肩の力がフッと抜けたんだ。
もちろん、間寛平さんが父親だったからだと言う人がいるかもしれないけれど、
人間の本質にせまった、生々しい感想だと思う。

けれど、”そこから”なんだと思う。
自分が一番可愛いということを知ると、やっとその”距離”が見えてくると思う。
コドモと密着する距離(愛情)ではなくて。。。

ワタシのコドモではなく、
「ワタシとコドモ」

そう考えると、距離感は無限に広がってゆくような気がする。
「自分」を拠点に。
そして「自分」を観察しながら、他へ想像を巡らす、、、
今、ワタシはそんなことを繰り返している日々。
時々噴火しちゃうけど。。。



「オペレーション・コドモタチ」 というプロジェクトに賛同しています。
何か出来ることはないか、考えています。
考えるとき、ワタシ自身も救われています。
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by normalin | 2011-04-27 22:19 | 雑記

高円寺の反原発デモに参加して思ったこと。

若い頃のわたしを今ここに連れてきたら
「何ていい時代なの?」
と目を輝かせるかもしれない。
もちろん、震災については目を覆うとは思うけれど。
ブログやツイッターに何かを書きなぐっていたんじゃないかな。
さて、これから昔のわたしに向けて書いてみようと思う。。。
何だか誰かの歌みたいだけど、
郷愁にふけっているいるわけではないから(笑)

  17歳のわたしへ。

ねぇ、あなたがやりたいと思ってたことやってきたよ。
何だと思う?
デモ。
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ツイッターというのでデモを知ったの。
スゴイでしょ?今はこんなツールがあるんだ。
ひとりで参加したわ。
やっぱりひとりで行動することになってしまうのは年をとっても変わらないね。
いや、厳密にいえばひとりじゃないんだよね。
だけど、そこには様々な思いの人がいて、
わたしとしてはもう少し色んな人とお話できるんじゃないかなと期待もしていたんだけど
数人に話しかけてみても、どうも盛り上がらなかったわ。
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そう、おとなしい感じの人が大勢いたし
いわゆる顔見知り以外の人は寄せ付けない空気もあるんだよね。
あなたが今よく言っている「塀」ってやつかもしれないな。

高円寺といえば、うちの先祖のお墓があるところじゃない?
お墓参りの後は必ず、あの商店街でご褒美に何か買ってもらったよね。
甘くていい思い出が詰まっている商店街だったから
「やっぱり商店街の人達も承諾してくれているんだ」と思って参加したら
実はそうじゃなかったみたいなの。
それにはわたしも驚いたけれど、もっと驚いたのは
あなたが「すてき!」と思うだろうネットの中での、ものすごい非難なの。
まるでデモに参加した誰もが「犯罪者」扱いなのよ。
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デモ参加者は、バカの集まりみたいに書かれているの。
まるで鬼の首を取ったみたいに楽しそうに悪口を書いているわ。
そういうのを眺めてたら、何だかその人たちが気の毒に思えてきたの。
この人たちは本当は怖くて仕方ないんじゃないかなって。

デモではプラカードなんか必要になるじゃない?
その中には、東電に騙されてたとか、そういうたぐいの言葉も見たの。
本音を言うと、わたしはそういう言葉には同意できなかった。
反原発デモに参加しているのにね(笑)。
とりあえず、原発について真剣に考えてます、という軽いノリだったんだ。
怒る?いいよ、怒って。
そう、わたしは自分に怒ってたのよ、震災があってからずっと。
あなたが今せっかくいろいろと考えているのに、すっかり視野が狭くなってたんだ。
考えることもやめてしまっていたかもしれない、とね。

あなたが読んでいる、日本がしてきた戦争の「裏」の本で
あなたが疑問に思い、憤っていることが今リアルに起こっている状況なの。
どう?悪くないと思うでしょ?
騙されたとか、そういうことじゃなくて、もっと深いところで
みんな、どうしようもない焦りを感じているかもしれないわ。
そのひとつがデモという行動に表れたとも思えるの。
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けれど歩いてゆくうち、だんだん夢の中に入ってしまったような感覚になったのよ。
自分の思いがどこにあるかもわからなくなってしまったの。
そしたら、高円寺町内のおじいさんが
「迷惑だ!自分たちの家の前で騒げ!」と怒鳴ったの。
そのときに「塀」を思い出したんだ。
日本は塀に囲まれた家を持っているけれど、
それでパブリックとの境界を保っているんだってこと。
まぁ、今じゃ塀のある家も少ないけれどね。
だからおじいさんの言わんとするところは
「自分たちの塀の中で騒げ」ということなんだろうね。
塀を越えたら「迷惑」なんだろうね。
けれど、それって言い方を代えれば塀の中のことについては理解を示すけれど
塀を越えた時点で理解なんかしてやんないぞ!ということにもならないかな?
そして、夢の中にいるようになっちゃったのは、もしかしたら
わたしもデモという「塀」の中で一瞬ヌクヌクしてしまったのかもしれないね。

震災の前にはね、あなたが想像もしないようなジェットコースター並みの
経済の高揚と落ち込みがあったんだ。
それから経済は冷え込んで、終身雇用制度を前提としていた
日本の企業神話だってもうないの。
それなのに、それほど深刻な感じはしていなかったわ。
ほんとならデモが起こってもおかしくなかったかもしれないのに。

どうしてだろうね?

社会って、”繋がって”いるはずなのに「企業」という「塀」に囲まれて
見えなくなっていたのかな?
今ね、事故を起こした原発を抱えている東電が槍玉に上がっているんだけど
あそこも大きな「塀」なんだよね。
あの中にいる人全てを悪者にしているような風潮があるけれど
非難している人たちだって、、、(わたしもそのうちのひとりだろうけど)
それぞれ「塀」の中で、その中に”合う”ように
”自分”を作り上げてしまっているから、
ただ「騙された」と文句を言っているだけのように思えるし
文句を言われている方も「たまたまウチの会社がこんな事故に遭ってしまった」
なんて、お互いが根拠のない自己肯定をしているようにも見えるんだよね。

だから、やっと見えてきたんだよ。
今までが、いかに膠着状態で、思考すらパターン化されていたこととか
死の前提で生きてるんだってこととか、、、
「当たり前」のことを忘れていただけなんだろうね。

デモに参加していた人の中にね
「今まで(原発について)何も考えていませんでした。ごめんなさい。」
というような内容のプラカードを下げていた人がいたの。
わたしも同じだなぁと思ってグサッときたんだ。
そう、あなたが今憤っている
「考え、論じることを取り上げられている」のが日本なんだよね。
謝りたくはないけれど(笑)これから本気で考えようと思ったんだ。

あなたはそのうち「塀」に嫌気が差して
半分移住する気でアメリカを旅することになるのだけど
やっぱり日本という地に足をつけようと帰って来るの。
グラグラしていて、地震酔いをしている毎日だけど
やっぱりわたしはここでよかったんだと思ってる。
この一ヶ月、いや、遡ればこの3年間くらい
わたしはずっと「設定外」の場所を漂っているような感じなの。
だから自分を肯定も否定もしない勇気が出てきたところ。
デモに参加したのはね、
「自分を主役」にしたドラマに出演したということかもしれないな。

なんてね、こういう言い方をするとネットという場所は
すぐ叩かれるのよ(笑)
けれどそういう人は、他人の中でしか生きる糧を見出していないのかもしれないね。
さっき「気の毒」と言ったのは、そういうことなんだ。
いや、日本のほとんどの人たちがそういう生き方を
知らず知らずに強制されてきたのかもね。
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デモに参加してから、少しずつ怒りがおさまってきたのよ。
大声も出してないのにね。
身体を動かしたということが良かったのかもしれないな。
自分で「行動」して、それを「見つめ」「思考」するという”繋がり”が
日本に欠落していたのかもしれないなぁと思ったよ。
だから地震に対して「想定外」なんていう言葉が出てきちゃうんだろうね。
こんな事になるとは思いもよらなかった、なんて言い訳しちゃうの。
恋に落ちるのも想定外なように、人生なんて想定外だらけ。
でもそれが「自然」ってもんじゃない?

あぁ、話がずれた(笑)

最後に、 、、
デモについて、こんなにもいろいろと語られたということは
皆が考えるいいきっかけにもなってるよね。
やっぱり行動(行為)は無意味じゃない。って思ったよ。
比べ物にはならないけど、ガンジーのハンガーストライキも、
マザー・テレサの病人の手を握り看取る行為も
そのときは非難されていたものね。
バカらしいって。。。

うん。わたし、バカになることにした。
こんな結論で、ごめんね(笑)。
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by normalin | 2011-04-15 00:32 | 雑記

ウランの光

わたしは、今、とても怒っている。
自分でも気付かなかったけれど。
「この”今”を、ありのままを”見る”」というヨガを毎日しているというのに。だ。
同僚から「元気がないね」と言われ、気付いたところ。
そう、元気がないのは怒りを隠そうとしているからなのだろう。
元気のないわたしに周囲はとても優しい。
「あなたのことが好き。」とメールで告白もされた(笑)。同性の方だけど。

しかし、どんな怒りなのかそれがわからない。
だから、書こうと思った。
本当は、こういう場所には気持ちが落ち着いたら書くべきなのだと思っていたけれど
そんな時間がいつやってくるのかわからないし、
今、この瞬間の自分の気持ちを文字にすることは意味があると思った。

わたしは、あまり感情を出せない人間だ。・・・だった。
環境がそうさせたとか、そういう話は今ここではするつもりはない。
けれど、閉じていた心が開いていったのは音楽だった。
初めて買ってもらったシングルは山口百恵の『ひと夏の経験』。
また、イルカのアルバムとABBAのアルバムのどちらにしようかと悩んだあげく
ABBAのアルバムを買ってもらい、中学生の頃からどっぷり洋楽にはまっていった。
洋楽の歌詞にはわからなことが多い。
それを調べ、ライナーノーツの解説に出てきた本などを読んでゆくうち
わたしは日本人がどうして、社会的な歌を歌わないんだろうと思ったものだ。
いや、歌っていた人はいる。
けれど、ヒットするのは恋愛ものばかり。
日本って平和なんだと思った。
けれど、何かが物足りなかった。
美しいだけに思えた愛の歌だけでは・・・。

中学生の頃、公民の授業の始まり、だったと思う。
先生が「何でもいい。疑問に思うことを書いて。」と言ったので
わたしは「日本は被爆国なのに、どうしてまた原爆と同じ方法で電気を作っているのか?」
と書いた。原発という言葉がわからなかったからこんな書き方をしたと思う。
また、そのシステムだってよくわかっていなかったし。
先生は特にそれを発表しなかったので、質問しに行った。
けれど、先生が困ったような笑みを浮かべているうち
他の生徒達が押しかけたことで何の回答も得られなかった。
いや、何か言ったのかもしれないが。

その曖昧な表情をもう一度別の先生に見ることになる。
それは第二次世界大戦の本を読んだときのこと。
どんな本かというと、日本が様々な国で行ってきたことについて書かれたもの。
読めば食事も摂れなくなってしまうほどの内容だ。
戦争はただただ悲惨で悲しいなんてもんじゃない。人を簡単に狂わすのだ。
わたしは担任の先生に
「どうして、こういうことが教科書に書かれないのか?」と質問したが無言のままだった。

教科書に書かれていることなんて、ほんの上澄みに過ぎない。
いや、上澄みどころかどうでもいい内容ばかりに思えた。
くだらない。
真実を教えない教育なんて、なんて不親切なんだ。
と思ったとたん、わたしは受験勉強そっちのけで哲学書ばかり読むことになった。
もちろん、わたしの人生の上でそれは”レールを外れた”瞬間だったのだけど(笑)

ただ、怒っていた。
怒りながら本を読み、音楽を聴いていた。
どうして、こんなに大切なことを知らないのだろうと。
親も、そして周りの人も。
いや、知らされていない、ということに。
けれど、口にしてはいけないんだと思った。
そういう国なんだと。
そう感じてから、とても居心地の悪い場所になった。

海外のアーティスト達は、来日するたび口を揃えて
「キレイで、親切な国」だと言う。
わたしも、そうは思う。
だが、この言葉を耳にするたび身体のどこかが”ざわざわ”した。
汚いものを隠すことが上手なのでは?
本当に親切・・・?と。

ここまで書いてもイマイチ怒りの根源がわからない。
ただ、思い出したことがある。

20数年前、とある店で「ウランガラス」というものに出会った。
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ウランと聞けばあの恐ろしい核。
グラスの前には「身体に及ぶ危険性はありません」とあった。
ロシア製だったと思う。
あまりにも美しくてしばし見とれた。その場を離れられなかった。
が、しかしそれを手に取ることは出来なかった。

話は違うが、核が分裂する光はとてもキレイだそうだ。
「あの光は何だろう?」と吸い寄せられた原発作業員が被爆したという話を
ずい分前にどこかで読んだ記憶がある。
ウランガラスは、ヨーロッパが発祥だ。日本でも作られていたそうが
第二次世界大戦を境に製造は終わったとのこと。
それは原爆が投下されたからだろうか・・・。
どういう理由かはわからないにしても、
あの時から日本は何かを封じることに力を注いできたようにも見える。
それを「美」という曖昧な表現に変えて。

そうだ。

わたしも同じ。

怒ることは、とてもエネルギーが要る。
それを封じなければ日々がしんどい。
どうやったら怒らなくて済むかということばかりを考えていたかもしれない。
周りを見ながら、、、自分の受け取られ方ばかりを気にしていたかもしれない。

そんなのもうやめよう。
時間がない。

表面的な「美しさ」は目が眩み、強そうだが「毒」がある。。。
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陽子はプラスの性質がある。
プラスとプラスは反発する。
それが抑え込まれて、原子の中心に集まる。
この反発力よりはるかに強力な抑える力が『核力』。
陽子が入れば入るほど、核力も大きい。
陽子がいっぱい入ってる「ウラン」の核力は、最強。

だが、本当の”美しさ”なら、もっと最強なはずだ。
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by normalin | 2011-04-04 20:45 | 雑記