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伝える。~『風姿花伝 観世宗家展』と『おだやかな日常』を見た日に~

今年掲げた目標のひとつに「書く」ことがある。
こうしたブログを更新することも、そこに入ることになるけれど
近頃は「読む」方々が不快な気持ちにならないようにと、どこかでブレーキをかけてしまい、
送信ボタンを押すことを躊躇してしまうことがある。
しかし他人様はどこで「不快」になるのか、実は知ったこっちゃいない(笑)。
気遣ったと思い上がる気持ちが、本当のところ一番よくないのかもしれない。
けれど、わたしがそう思うようになったきっかけは震災の原発事故以降。
それまで自分の話ばかりのびのびと書いていたものの、
「これは知らせなくてはいけない」と思い込むようになり、ネットの活用法が少し変化したからだった。
原発事故以降は、この世の中がまるで幻想のように思えたりして
わたし達は、お面を被って生活しているのではないかと感じたものだ。
「だから、この現状を知らせなくては」と思い抱くようになった。
わたしは若いころからいわゆる「義憤」を持つタイプだから、それに拍車がかかり、
日常の「なまぬるいやり取り」にさえも、絶望する日々だった。
しかし、難病を抱える子ども達を守らなくてはならない。
そして、彼らにはせめて「希望」を見せたいと葛藤していた。
それはまだ続いているのだけれど。

ところで、昨日はやっと自身の「やりたいこと」を目いっぱいしてきた。
まずは、銀座松屋で開催されている『風姿花伝 観世宗家展』へ。
高校生の頃、学校で狂言や能楽堂で能を見てから能の世界に興味を持ち、
「秘すれば花なり」という世阿弥の言葉に惹かれ、たどたどしくも『風姿花伝』を読み
その「意味」を、時々わたしなりに勝手に解釈することを”秘めて”きた(笑)。
いわばバイブルのような書物。
『風姿花伝』は明治24年に発見され、もともと家元しか見てはならないものだ。
世阿弥直筆のその書が公開されるというのだから驚いた。
それも、これが最初で最後かもしれないとか。
現在の家元、観世清和さんは「人類共通の財産だから、もっと多くの人に見てもらいたい」と英断されたという。
さて、会場では、色鮮やかな能装束のほころびを丁寧にまつってある糸の具合、
歴代演者の汗が垂れ、おどろおどろしい額の跡がいい味になっている翁の面、
裏から見た能面の、視界がほとんどないであろう目の切り込みなど
間近で観ることの特権を楽しんだ。
そして、いよいよ世阿弥の書へ。
思い込んでいた厳しさが全く感じられず、流れるような万葉仮名が美しい。
何より優しさで溢れていた。
文字は体を表すというけれど、世阿弥の気持ちまでもが伝わるようだった。
実際に触れるということは、理屈などどうでもよくなる。
世阿弥は「残しておかねばならない」と思い、書いたという。
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それを大切にしてきた代々の努力もさることながら、公開に踏み切った時代に柔軟な家元にも感謝したい。
会場を去る頃、突然『風姿花伝』の「幽玄」「物真似」「花」についてヨガと重ねてみた。
「幽玄」は「宇宙」「物真似」は「アーサナなどの練習」
そうか、「花」は「魂」か。

ピンとくる時は、何かが落ちたみたいで心地いい。
そのままタイ料理で一番好きなカオマンガイを食べ、満足して渋谷へ向かった。
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公開前から観たかった映画「おだやかな日常」。
冒頭からいきなり当時の恐怖に突き落とされる。
わたし達も、被災者なのだと思い知らされる。
東北の方々には申し訳ないという気持ちで、何とか平静を保ってきたのかもしれない。
いや「保たされて」きたのだろう。
様々な感情がこれでもかと描かれてゆく。
主人公達があまりにも自分と同じ姿で、感情移入さえできない。
不思議なもので、どちらかというとわたしとは「対極」にいるような人々へ気持ちが動いていた。
これが「客観視」のなせる技なのかもしれない。
悲しくもないのに涙が出た。
おそらく、ため込んでいた何かなのだろう。
「感情的になるな」という言葉を、震災以降あちこちで聞いた。
しかし、それを言う方も「感情的」であったのだと思う。
人間は、気持ちで動かされている。
気持ちに気付かないように、動きを止めることも身を守る技術だ。
どちらも、人間ならではのものであって間違いではない。
感情のぶつかり合いが愛おしく思えた、そんな映画だった。

ここでまた、能を思い出す。
能は、無駄な動きを切り捨てて出来上がった舞いだ。
だから、それを観るのは時々退屈だったりもする。
それなのにどうして人々を魅了しているのだろう。
そこには、人間の普遍的な感情が生々しく描かれているからだと思う。
わたし達は、普段感情をむき出して生活できるわけではないから
能の舞いに、自分の感情をぶつけているのかもしれない。
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自分の思ったことを伝えることは、時に軋轢を生むのだろう。
勇気が必要だし、傷つくことも正直怖い。
けれども、せめて身近な人に誠心誠意伝えてゆくことは、
やっぱり大切なんだと思った。
これからは”秘する”ことなく、伝えてみようか。
世阿弥が跡継ぎのためにと書いた『風姿花伝』のように。
大げさだけど、さ。
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by normalin | 2013-01-11 12:01 | MOVIES