Blue Moon

いつだったか、ダイエットを特集した番組で
部屋中を青くすれば食欲がなくなるからと
食べ物にまで青の色素を混ぜていた様子を見た。
それで体重が減ったかどうかは、わからないが
そこまでのことをするエネルギーがあったら、
もっと簡単にダイエットなんて出来るんじゃないかと思ったっけ。
何かを達成するために、回りくどいことをしてしまうのは実に滑稽だ。
けれど、わたし達は、そんなややこしいシステムの上に暮らしているのかもしれない。

それにしても、青いケーキとか、、、ちょっと”ありえない”。

今夜はブルームーン。
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ひと月に2度目の新月。とても稀な現象。
ブルームーンという言葉は、16世紀頃“非常にばかげたこと”として使われ
この“ばかげている”という意味から、
“月が青くなるなんてありえない”“決してない”(never)という意味が生まれたという。

しかしありえないことは、どんどん起こる。
社会の中でも、、、そして自分自身の中でも。
それを拒絶するだけで片付けるのは、なんてつまらないことだろう。
ただ”ありえない”からと。

経験は、時々邪魔になる。
それをアウトプットしようとするとき、
きっとどこかで”操作”してしまうような気がする。
自分を肯定するために。
その肯定は、時に、システムに組みこまれた自分であって、
他者から賞賛されたい自分であって、
そして、何より安心したい自分であって。

今、わたし達は誰も経験をしたことがない状況下にいる。
それが得体のしれない恐怖であることも否めない。
でも、だからこそ、肯定も否定もする必要がないのは
少し”楽”になれるチャンスかもしれない、と願いたい。

今日はBlue Moonだからね。
稀な日だから、稀なこと考えてみる。
でも、稀なことはそこいらに転がってるよ。
人との吸い寄せられるような出逢いだって。。。おんなじ。



ところで。
チェレンコフ光の青色は、吸い寄せられるほど美しいらしい。
こちらは、青いケーキなんかより、ずっと”ありえない”けど...


<追記>
7月は新月が2回という珍しい月でした。(満月は7月15日)今日は新月の2回目。
正しくはブルームーンではなかったですが、願いごとが叶うと言われています。

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# by normalin | 2011-07-31 18:20 | 雑記

逃げること、逃げないこと。

最近、酢を使った料理が多くなった。
世界最古の医学、アーユルヴェーダによれば
酸っぱいものを多く食すと、批判的になるという。
わたしはもともとアナーキーな考えが好みであったせいか
震災から、より一層批判的な目線であったことは確かだし、
もしかすると、酢は欠乏による摂取かもしれないなどと逆説的に思いながら
今夜も酢っぱい料理を食べたくなったのを、とりあえずやめてみることにした。
何でも「過ぎる」のは良くないし。

ところで、ここへきてわたしは若い頃から興味のあった
ユダヤ人に関する本を再読している。
今までは彼らの歴史的背景にばかり気を取られ、
響いてこない部分も沢山あったものの、日本がこうなった今
彼らの生き方が、生々しく迫ってくるようになった。
危機に直面するのは悪くない。と、思う。

とはいうものの、ユダヤ人の歴史はずっと危機の中にあった。
想像するだけで疲れてしまう。
しかし、全ての五感を使い、身体全体で危機を感じ続けた歴史が、
世界的な天才を輩出してきたのかもしれない。

「渡り鳥の子3羽」というユダヤ人に語り継がれる寓話を見つけた。

渡り鳥が3羽の子どもを産んだが、寒波が襲ってきて
暖かい場所へ移動しなければならなくなった。
まだ飛ぶこともままならない子どもたち。
母鳥は、1羽だけ背中に乗せて逃げることにした。
3羽はそれぞれ次のように言った。
「お母さん、もし僕を連れて行ってくれたら僕は一生懸命働いて
お母さんを宮殿に住まわせ贅沢な暮らしをさせてあげます。」
「お母さん、もしも僕を連れて行ってくれたら、僕は一生懸命働いて
お母さんの面倒を心を尽くしてします。」
「お母さん、僕は努力はしますがどれほどのことが出来るかわかりません。
ただ、子どもが生まれたらお母さんから教わったことを子どもに伝えます。」
そして母鳥は3羽目を選んだという。

とてもかわいそうな話だが、ユダヤ人にとって「生き残る」とは
想像を絶するものだったことが伺える。
けれど、こういう寓話は日本には存在しないだろう。
日本の場合は「親孝行」話が好きだ。
そう考えると「かぐや姫」は少し異質で面白い。
可愛がって育てた子どもが遠い月へと帰ってゆくことは、3羽の渡り鳥のように
見返りを期待しないという意味だろう。

そして想像してみる。もしも、この渡り鳥の寓話を日本版にするなら
寒波の中、傷つきながら3羽を守り続ける母鳥の姿かもしれない。
それを”母性の美しさ”と涙をさそうかもしれないが、わたしはそうは思わない。
「子どもを産んでいない人は母性がわからないだろう」という人がいる。
それは違うと思う。
自分の子どもを守るのは単なる本能であって、母性ではないと。
そして、母性は子どもを持つ女性だけに備わっているものでもない。
もっと普遍的なものだと思う。

わたしは、見返りを期待しないことが母性だと考える。
この国にも見返りを期待しなければ、文句は出ない。
しかし再建したいと思うから、批判的になる。

ただ、この状況でどうしてもしてはならないのは
寒波の中、3羽の子を抱えて”共倒れ”することだと思う。
それは美しくもなんともない。
非情な決断も、また母性だと思うから。

んーー。
まだ酸っぱいものが抜けてないかもしれない。。。
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# by normalin | 2011-07-05 22:30 | 雑記

長所と短所の間。

あなたのいいところって何ですか?
と聞かれ、うーん、、、と困りながら、
やっとの思いで、ひとつくらいを搾り出す。
それも疑問系で奥ゆかしく。
しかし、欧米は違うらしい。
大抵5つ以上はスラスラ言うことができるようだ。
その自己アピールが就活には必須だと、震災直前に観たテレビで特集していた。
しかし、それがこの国に当てはまるのかどうか疑わしいと思ったし
益々外国の資本に侵略されてゆくような気もした。

震災後、わたしは日本の欠点ばかりを嘆いてきた。
もちろん、中には「美しい話」もあるが、それすら
人のいい日本人はこういう話にすぐ騙されると、斜に構えていた。
怒りに支配され、焦りが全身を覆っていた。

ここ2~3日、テレビは福島飯館村の様子を流している。
村民の方々のインタビュー、家畜の様子、、、
意識しないうちに涙が流れそうになり
その度、急に台所に行き何か仕事を探す。
現実を直視できないわたしはなんて弱いのだろう。
この恐怖はどこにあるのだろう。

昨日、福島の方々が話す様子を見ていて、思い出した映像があった。
わたしの恐怖はそこからきているのだ。

高校生の頃、学校で「見せられた」フィルムがあった。
広島原爆投下後に米軍が撮影したという16ミリフィルムだ。
おぼろげな記憶だが、
そのフィルムをアメリカから返却してもらうという運動をされている方が
全国を周りながら上映しているというものだった。
(多分、これだと思います。10フィート映画
被爆した方が、一人ずつ椅子に座らされ身体の隅々まで撮影されいた。
子どもの姿もあった。
驚いたのは、とても美しいカラーだということだ。
白黒写真でしか見たことのなかった当時の日本人が
カラーで映し出されていることに、
「こんな大国と戦争をした」という無謀さが
焼け爛れた肌に、ボロボロになったあまりにも粗末な衣服に
表れている気がして、かわいそうで、、、苦しかった。

しかし一番の驚愕は、傷を負いながらも
ガタガタ震えながら、背筋を伸ばして椅子にきちんと座り、
米軍の指示通りに、まあまりにも行儀良く撮影に協力していることだった。
小学生くらいの子どもの、そのきちんとした姿勢が焼きついている。
こんな状態でも礼儀のいい”人たち”に、わたしは悲しみを通り越し
言葉では表せないような気もちになったのを思い出した。

上映前に、お話してくださった運動家の方は
「なるべく目をそらさないで観てください」と言っていたが
わたしはほとんど見れなかった。
それが申し訳ないと思うほど、その方の熱意は伝わってきたけれど。

そして今、やっとわかった。
わたしの恐怖は、この「礼儀正しさ」にあるんだということ。

穏やかな表情で話す日本人。
本当に静かな国民性だと思う。
それを絶賛する海外の方もいる。
わたしも、そう思う。

話は変わるが、ツイッターの醍醐味というのは
様々な意見が「混ざり合う」というところだ。
そして、普段自分はあまり考えたことのない事象について
論じ合う場面にも遭遇する。
が、この頃よく目にするのは「軸」という言葉だ。
「あなたの言っていることは軸がみえない」とか。
「論点」というならわかるけれど。
軸というのは、見えないものだとわたしは捉えているので
相手へ「軸」に関して指摘した途端、
こちらには指摘した人の「感情」が見えてくる。
そこがまた面白いところでもあるのだけど。

それにしても、わたしも含め、、、この国では論じ合うということに対して
不慣れなんだろうとも思う。
それはどう考えても「お上のいうこと」に従ってしまう
礼儀正しさなのではないか、と思える一面もあるから。
島国、単一民族、、、様々な背景があるかもしれないが
それは”育ちの良さ”という長所として大切にしておこう。

ところで、わたしが面接官だったら、こう聞きたい。

「あなたの長所、短所と思われるところをあげ、
その理由について話してみてください。」

短所や長所なんて実はどうでもいい部分。
理由を述べているときの、その人の「軸」を感じ取りたいというのが目的。
軸に感情は入らない。
冷たいというわけでもなく、ただの”客観性”。
そしてそれは長所と短所という‘感情‘が拮抗し合うことで
生じるバランス感覚。
そこには信念がある、とも思う。

わたしは、今になってやっと、原爆フィルム返却を求めるおじさんの
信念を感じ取ることができた。
ありがたい。

さて「礼儀正しい」という長所に、拮抗する力はなんだろう。。。
それを見つけてゆくことも、これからの課題だと思う。
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# by normalin | 2011-05-14 13:11 | 雑記

コドモ と ワタシ

ワタシは、今、医療関係の職場で仕事をしているのだけど、
この間、3ヶ月の赤ちゃんを連れたお母さんが来院して
レントゲンを撮る間だけ、赤ちゃんを抱っこさせてもらったんだ。
少しグズッていたところを抱っこ。
懐かしいお尻から背中の感触、うっとりするくらい独特のいい匂い。
ワタシは少しだけ上半身を揺らしながら、話しかけ、楽しんでた。
そしたら泣き止んで、ワタシを見て笑ったの。
それを見ていた待合室の患者さんから
「あら?あなた慣れてるわね。コドモいるの?」
と言われたのだけど、ワタシはどうも子持ちに見えないらしいんだ。
そんなことどうでもいいけど、
ワタシは20年近く、子育てしかしてなかったんだなーってしみじみしてね。
そして、レントゲン室から出てきた若いお母さんに赤ちゃんを手渡すとき
胸の辺りがキュっとなって泣けてきちゃったんだ。

大変な時に子育てをしなきゃならないんだな。。。って。


実は、ワタシは今、文章なんて書きたくないほど悶々としていてね。
誰かと口論をしてしまいそうなくらい、エネルギッシュ(?)
これは本気を出してる地球からの力の影響を受けているのかもしれない、
なんて思うようにしてるけど(笑
でもね、そんな状態だからこそ書こうと思ったんだ。
書くということは、自分の立ち居地を確認できるんじゃないかって。
そう。。。
コドモを産んだあの日から、ワタシはいつも
コドモとの「距離感」を頭の片隅に置いてたことも思い出したんだ。
それはね、大好きすぎるから。
大好きなんてもんじゃないね。分身みたいに思っちゃうから、戒めのつもり。
まぁ、これは恋愛で学んだことかな。恋愛はいつだってダメダメだったけど。
「そんなのおかしいよ、お母さんなのに何で距離感なんて気にするの?」
確かにそう。ワタシはたぶん少し風変わりなのかもしれないけどね。

そんな風変わりなワタシは、高校生の頃から臨床心理士になりたいと思ってた。
けれど、希望した心理学科には進めなかった。
哲学書ばかり読んで、受験勉強しなかったからね。
でも、どかでずっと「なりたいなー。」というのがあったんだ。
だから、コドモを産んでからは児童心理学のような本を沢山読んだ。
けれど、そのうち「当てはまんないよ、どれも。」という結論になったわけ。
だって、コドモはものすごく生ものなんだもの。
それはもう、追いつけないくらいどんどん進化していく生ものなんだもの。

子育ての基礎(?)として、よく
「お母さんの感情をコドモは察知するから、平常心でいるように。」
なんていうのがあるよね。
もちろんその通りだとは思うけれど、お母さんだって感情があるんだよね。
そういうのを押し殺していたら、コドモはもっと何かを察知するんじゃない?
なんて、そんな風に思うようになってね。

データだったんだよね。心理学って。
いや、決してけなしているわけじゃないの。
ただね「他人」の行動を観察してデータをとった結果、っていうところが
少しだけ腑に落ちなくなったんだ。

そしたら「お母さんの姿」もデータ化されているんじゃないかって思ったの。
それはね、まだコドモが幼い頃タイのバンコクに住むことになった時。
あまりにも暑いから公園にも連れて行けない、
メイドさんがいるから、コドモを預けて奥様会なんていうのに出なきゃいけない、
お母さんの手料理どころか、メイドさんが食事を作ってる。。。
とかね、ワタシは「これじゃ、お母さんとして失格になってしまう。」
なんて大げさに思ったわけ。
でもね、そんなことどうでもいいことだったんだよね。
お母さんはこうあるのが正しい。
と、ワタシも刷り込まれてたんだなーって思ったんだ。
それは帰国してから、より一層強くなった。

そしてね、日本のお母さんが何だか気の毒になったの。
だって、コドモが悪い行いをするのは全て母親のせいだ、
なんていうことだらけなんだもん。
学校は学校で、決まり文句のように「ご家庭で見てあげてください。」とかさ。
ご家庭って、結局「お母さん」だよね?
あー、お母さんってこんなにやることいっぱいなの?
しかも感情は押し殺して?
やってらんないよー。
って、ワタシはいつも思ってた。

お母さん達がかわいそうだった。
勝手だけど。
ワタシ以外のお母さんは、そんな風に思ってないかもしれないけれど。

少し前にテレビで、被災したお母さんへのアドバイスとして、
ある心理学者がこんなこと言ってた。

「お母さんが恐がると、コドモはもっと恐がります。
あまり恐がらないように。」

驚いた。
こんな状況でも、こんなこと言ってしまうんだって。


だから。。。

今は、ただ、恐がってほしいと思う。

コドモの前だからといって、、、

いや、コドモの前だからこそ。


神戸の震災の後、芸人の間寛平さんが言っていたことが忘れられない。
「震災で一番驚いたのは、僕、自分だけ逃げてたんだよね。
コドモをおいて。そんなことするとは思わなかった。自分が一番可愛いんだね。」
その番組は昼のトーク番組。
皆が黙ってしまった記憶があるけれど、正直な人だな、と思った。
そして、その時、幼子を抱えていたワタシにとって
それは”母性神話”を覆す言葉で、肩の力がフッと抜けたんだ。
もちろん、間寛平さんが父親だったからだと言う人がいるかもしれないけれど、
人間の本質にせまった、生々しい感想だと思う。

けれど、”そこから”なんだと思う。
自分が一番可愛いということを知ると、やっとその”距離”が見えてくると思う。
コドモと密着する距離(愛情)ではなくて。。。

ワタシのコドモではなく、
「ワタシとコドモ」

そう考えると、距離感は無限に広がってゆくような気がする。
「自分」を拠点に。
そして「自分」を観察しながら、他へ想像を巡らす、、、
今、ワタシはそんなことを繰り返している日々。
時々噴火しちゃうけど。。。



「オペレーション・コドモタチ」 というプロジェクトに賛同しています。
何か出来ることはないか、考えています。
考えるとき、ワタシ自身も救われています。
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# by normalin | 2011-04-27 22:19 | 雑記

高円寺の反原発デモに参加して思ったこと。

若い頃のわたしを今ここに連れてきたら
「何ていい時代なの?」
と目を輝かせるかもしれない。
もちろん、震災については目を覆うとは思うけれど。
ブログやツイッターに何かを書きなぐっていたんじゃないかな。
さて、これから昔のわたしに向けて書いてみようと思う。。。
何だか誰かの歌みたいだけど、
郷愁にふけっているいるわけではないから(笑)

  17歳のわたしへ。

ねぇ、あなたがやりたいと思ってたことやってきたよ。
何だと思う?
デモ。
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ツイッターというのでデモを知ったの。
スゴイでしょ?今はこんなツールがあるんだ。
ひとりで参加したわ。
やっぱりひとりで行動することになってしまうのは年をとっても変わらないね。
いや、厳密にいえばひとりじゃないんだよね。
だけど、そこには様々な思いの人がいて、
わたしとしてはもう少し色んな人とお話できるんじゃないかなと期待もしていたんだけど
数人に話しかけてみても、どうも盛り上がらなかったわ。
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そう、おとなしい感じの人が大勢いたし
いわゆる顔見知り以外の人は寄せ付けない空気もあるんだよね。
あなたが今よく言っている「塀」ってやつかもしれないな。

高円寺といえば、うちの先祖のお墓があるところじゃない?
お墓参りの後は必ず、あの商店街でご褒美に何か買ってもらったよね。
甘くていい思い出が詰まっている商店街だったから
「やっぱり商店街の人達も承諾してくれているんだ」と思って参加したら
実はそうじゃなかったみたいなの。
それにはわたしも驚いたけれど、もっと驚いたのは
あなたが「すてき!」と思うだろうネットの中での、ものすごい非難なの。
まるでデモに参加した誰もが「犯罪者」扱いなのよ。
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デモ参加者は、バカの集まりみたいに書かれているの。
まるで鬼の首を取ったみたいに楽しそうに悪口を書いているわ。
そういうのを眺めてたら、何だかその人たちが気の毒に思えてきたの。
この人たちは本当は怖くて仕方ないんじゃないかなって。

デモではプラカードなんか必要になるじゃない?
その中には、東電に騙されてたとか、そういうたぐいの言葉も見たの。
本音を言うと、わたしはそういう言葉には同意できなかった。
反原発デモに参加しているのにね(笑)。
とりあえず、原発について真剣に考えてます、という軽いノリだったんだ。
怒る?いいよ、怒って。
そう、わたしは自分に怒ってたのよ、震災があってからずっと。
あなたが今せっかくいろいろと考えているのに、すっかり視野が狭くなってたんだ。
考えることもやめてしまっていたかもしれない、とね。

あなたが読んでいる、日本がしてきた戦争の「裏」の本で
あなたが疑問に思い、憤っていることが今リアルに起こっている状況なの。
どう?悪くないと思うでしょ?
騙されたとか、そういうことじゃなくて、もっと深いところで
みんな、どうしようもない焦りを感じているかもしれないわ。
そのひとつがデモという行動に表れたとも思えるの。
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けれど歩いてゆくうち、だんだん夢の中に入ってしまったような感覚になったのよ。
自分の思いがどこにあるかもわからなくなってしまったの。
そしたら、高円寺町内のおじいさんが
「迷惑だ!自分たちの家の前で騒げ!」と怒鳴ったの。
そのときに「塀」を思い出したんだ。
日本は塀に囲まれた家を持っているけれど、
それでパブリックとの境界を保っているんだってこと。
まぁ、今じゃ塀のある家も少ないけれどね。
だからおじいさんの言わんとするところは
「自分たちの塀の中で騒げ」ということなんだろうね。
塀を越えたら「迷惑」なんだろうね。
けれど、それって言い方を代えれば塀の中のことについては理解を示すけれど
塀を越えた時点で理解なんかしてやんないぞ!ということにもならないかな?
そして、夢の中にいるようになっちゃったのは、もしかしたら
わたしもデモという「塀」の中で一瞬ヌクヌクしてしまったのかもしれないね。

震災の前にはね、あなたが想像もしないようなジェットコースター並みの
経済の高揚と落ち込みがあったんだ。
それから経済は冷え込んで、終身雇用制度を前提としていた
日本の企業神話だってもうないの。
それなのに、それほど深刻な感じはしていなかったわ。
ほんとならデモが起こってもおかしくなかったかもしれないのに。

どうしてだろうね?

社会って、”繋がって”いるはずなのに「企業」という「塀」に囲まれて
見えなくなっていたのかな?
今ね、事故を起こした原発を抱えている東電が槍玉に上がっているんだけど
あそこも大きな「塀」なんだよね。
あの中にいる人全てを悪者にしているような風潮があるけれど
非難している人たちだって、、、(わたしもそのうちのひとりだろうけど)
それぞれ「塀」の中で、その中に”合う”ように
”自分”を作り上げてしまっているから、
ただ「騙された」と文句を言っているだけのように思えるし
文句を言われている方も「たまたまウチの会社がこんな事故に遭ってしまった」
なんて、お互いが根拠のない自己肯定をしているようにも見えるんだよね。

だから、やっと見えてきたんだよ。
今までが、いかに膠着状態で、思考すらパターン化されていたこととか
死の前提で生きてるんだってこととか、、、
「当たり前」のことを忘れていただけなんだろうね。

デモに参加していた人の中にね
「今まで(原発について)何も考えていませんでした。ごめんなさい。」
というような内容のプラカードを下げていた人がいたの。
わたしも同じだなぁと思ってグサッときたんだ。
そう、あなたが今憤っている
「考え、論じることを取り上げられている」のが日本なんだよね。
謝りたくはないけれど(笑)これから本気で考えようと思ったんだ。

あなたはそのうち「塀」に嫌気が差して
半分移住する気でアメリカを旅することになるのだけど
やっぱり日本という地に足をつけようと帰って来るの。
グラグラしていて、地震酔いをしている毎日だけど
やっぱりわたしはここでよかったんだと思ってる。
この一ヶ月、いや、遡ればこの3年間くらい
わたしはずっと「設定外」の場所を漂っているような感じなの。
だから自分を肯定も否定もしない勇気が出てきたところ。
デモに参加したのはね、
「自分を主役」にしたドラマに出演したということかもしれないな。

なんてね、こういう言い方をするとネットという場所は
すぐ叩かれるのよ(笑)
けれどそういう人は、他人の中でしか生きる糧を見出していないのかもしれないね。
さっき「気の毒」と言ったのは、そういうことなんだ。
いや、日本のほとんどの人たちがそういう生き方を
知らず知らずに強制されてきたのかもね。
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デモに参加してから、少しずつ怒りがおさまってきたのよ。
大声も出してないのにね。
身体を動かしたということが良かったのかもしれないな。
自分で「行動」して、それを「見つめ」「思考」するという”繋がり”が
日本に欠落していたのかもしれないなぁと思ったよ。
だから地震に対して「想定外」なんていう言葉が出てきちゃうんだろうね。
こんな事になるとは思いもよらなかった、なんて言い訳しちゃうの。
恋に落ちるのも想定外なように、人生なんて想定外だらけ。
でもそれが「自然」ってもんじゃない?

あぁ、話がずれた(笑)

最後に、 、、
デモについて、こんなにもいろいろと語られたということは
皆が考えるいいきっかけにもなってるよね。
やっぱり行動(行為)は無意味じゃない。って思ったよ。
比べ物にはならないけど、ガンジーのハンガーストライキも、
マザー・テレサの病人の手を握り看取る行為も
そのときは非難されていたものね。
バカらしいって。。。

うん。わたし、バカになることにした。
こんな結論で、ごめんね(笑)。
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# by normalin | 2011-04-15 00:32 | 雑記