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私流PLANETROCKは"脱・無感覚”

10年ほど前、ほぼ1年の中で立て続けに両親を亡くなした。
その別れの最中、自分も病で大きな手術をした。もし悪性の場合は余命半年。
検査の結果は良性だったものの、母が危篤だったため、
医師に無理をいって3日早く退院させてもらい、退院した3日後に母は亡くなった。
あの頃、わたしは全てに「無感覚」でいたように思う。
だから、自分の身体のことなどどうでもよかった。
処理を超えた恐怖に駆られると、人は何も感じなくなってしまうのかもしれない。
それは「死」を理解しなければならない人間にだけ授けられた能力なのかもしれないけれど。
けれども「無感覚」でいることは、自分の身体にも支障をきたし、
わたしの場合は自暴自棄になるような気がした。
これはまずい。。。
というわけで、これらの体験がヨガを始めた大きなきっかけになった。
そこにヨガがあったのは、まるで必然ともいえる状況でもあった。
出会うべき時に、出会う人に会っているものだと、振り返ってしみじみ思う。

ヨガで様々なポーズをしながら、
まるで子どもの頃のようなワクワクした感覚が蘇る。
しかし、わたしにはひとつだけ苦手なポーズがあった。
「シャバーサナ」という屍のポーズだ。
ただ、マットに寝て、身を委ねるだけのポーズ。
身体中に力が入り、リラックスするどころか頭の中で呪文を唱えるように
「力を抜く」ことに”集中”させようとしてきた。
リラックスを頭で強制するから、疲れも半端ない(笑)。
本音を言えば、目を固く閉じ、早くこの時間が終わればいいと思っていた。
しかしある日、シャバーサナに入ると身体が震えた。
心臓が高鳴り、うまくゆかないシャバーサナに苛立った。
誤魔化せない身体の変化に途方に暮れた。
涙が溢れた。
「恐い」とひたすら思った。

それからシャバーサナが少しずつ変わった。
力の入っている部分がわかるようになっていった。
目を閉じているのに、暗闇を感じなくなった。
そして、両親の墓をやっと見つめ、線香の煙の香りをかぎながら
墓に佇む自分の姿を感じることもできるようになった気がする。

ところで、わたしがずっと大切に読み続けてきたブログがある。
その方は、ご自身の病と向き合いながら日常を綴っていらした。
「(これほど死が目前にせまっても)死の準備などできない、ただ明日食べることは何かと淡々と過ごすだけ」というようなことが書かれていた。
それが最後の更新になってしまったのだけれど、この言葉はわたしに深く突き刺さっている。
せまりくる死と明日何を食べるのかが同居していることに愕然とした。
わたしは死を特別視し過ぎていたのだと。
何となく、理解したような「死」だったけれども、それはやはり理解など超えているし
そもそもそれを理解することなど到底不可能なのだと思った。
「死」は、食べることと同じように、呼吸をすることと同じように、そこにあるのだけなんだ。
ただし、死を見送る側は自分の悲しみに対し「理解」を要する時間が必要だと思うけれど。

日常の中に突如訪れる「死」を、私たちはどれほど忌み嫌っていたのだろうと思った。
もちろん、それは体験したことのない恐怖だからこそ、目を背けたいし、”忘れて”いたい。
けれども「恐怖」を受け入れることから楽になることもあるのかもしれないとも考える。

「死」を「放射能」に置き換えてもう一度。

日常の中に突如訪れた「放射能」を、私たちはどれほど忌み嫌っているのだろうと思った。
もちろん、それは体験したことのない恐怖だからこそ、目を背けたいし、”忘れて”いたい。
けれども「恐怖」を受け入れることから楽になることもあるのかもしれないとも考える。

「死」に方は、選択できた方がいい。
そして「放射能」も選択できた方がいい。
「放射能」の場合は、それを「測る」ことで避けることもできるのだから。

ずっと、ずっと「放射能」を測ってきたDELIさんという方が、政治団体を立ち上げた。
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わたしは、DELIさんの前向きな姿勢にいつも勇気をもらってきたし、
「恐がる」ことへの純粋な気持ちを大事にすることもできた。

政治団体名には「PLNETROCK」といって「ROCK」が入るし、街宣はDJつきでまるでライブのよう。
それをふざけてると思うか、思わないかも自由だと思う。
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しかし、原発事故以降、スーツ姿の超エリートと言われている方々が、
「放射能」から救ってくれないのだということについても、何度も何度も絶望してきた。
だから、わたしの中で、ふざけているのは後者の方々なのだけれども。
彼らも彼らの中に潜む「恐怖」で、無感覚になっているのかもしれないなぁ…とも近頃は気の毒に思ったりする。
そして「救ってくれる」と思いこんでいた私たちは、もっと”ふざけて”いたわけで。。。

無味、無臭の放射能はこれから何万年もこの地球に居続ける。
それに比べたら、私たちの命はほんの一瞬。
だから、自分の死後はどうなってもいいや、と思う人。
だからこそ、今の状況をはっきりさせて、
せめて未来の人々のために手がかりを残したいと思う人。
どちらも”選択”なのだと思う。

それは「死」を考えることと、似ているような気がするんだよね。
考えるというより、感じるという言葉の方が適当かもしれないけれど。

わたしは日々の生活の中で、当たり前のように何でも感じていたいと思う。
辛いことも嬉しいことも、音楽を聴くように身体全体で感じていたい。
だから、わたしは脱・無感覚で。



※音楽が無料でダウンロードできます。
PLANET ROCK 2014 Part1
PLANET ROCK 2014 Part2

わたし達の日常から生まれたリリックに元気をもらってます。
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by normalin | 2014-10-12 20:58 | 政治