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映画「標的の村」を観て。

子どもがまだ赤ん坊の頃に知り合ったママ友達がいました。
彼女は台湾の方で、ご主人は沖縄出身でした。
彼女の日本語が聞き取りにくいと、いわゆる公園ママ達は遠巻きにしていたのですが
わたしは、会話になんの飾り気もない彼女と話している方がリラックスできたので、
そのうち彼女から電話もかかってくるような仲になりました。
ちなみにママ達が遠巻きにする場合は「子どもごと」なんですよ。
そんな風に「差別」なんて日常どこにでもゴロゴロしているもんですよね。

彼女はよく
「沖縄はね、台湾とソックリなの。夫の実家に行った時、安心した。食べ物も、人の雰囲気もそっくりなんだよ。」と、話してました。
わたしは、彼女の明るい強さが好きでした。
もちろん、避けられていることも知っていたと思うし、彼女がそのうち公園でわたしと話さないようにしていたのもわたしへの気遣いだったのだろうと思うけれど、わたしはそこには触れなかったし、触れないでほしいという信号を彼女から受け取っているような気がしていました。
けれど、それは果たして正解だったの?と思うことがありますが...
今、どうしているんだろう?
元気かな。

ところで、わたしは、訪れたことのない南国沖縄を飛び超え、タイのバンコクで暮らしたことがあります。
夫の転勤で幼い子ども2人を文字通り両腕に抱えながら飛びました。
会社の奥様会というものが存在していて、まだ1歳半だった息子を食事会に連れて行ってしまい
子どもはメイドさんに預けるものだという常識を「嫌味」と共に学んだわけですが
実はそれも他の会社の奥様から後で教えてもらったわけです。
わたしは「嫌味」もわからないほど若かったわけで、いや、なんというバカかと自分を情けなく思う日々でした。
「子どもは自分の手で育てたい」という小さいけれど、大切にしていた信念はとりあえず脇におき、
言葉も通じないメイドさんを雇い、わたしのバンコク生活も軌道にのったかと思われたのですが、、、
なんと、実はいじめを受けていたのです(笑)。

それも自分では気づいておらず、わざわざ電話でお知らせしてくださった方により
「あぁ、そうか、どうりで変だと思った。」とやっと気づく始末。
こんなに鈍感なわたしでも、思い当たる節はありました。
いじめのドンの言うことをきかなかったことがあったからです。
これは自分の信念に基づく行動だったので、まったく後悔しておらず、むしろそれでよかったと思っていました。
しかし、わたしへのいじめに対して教えてくださった方は
「かわいそう」だと、電話口でさめざめ泣いてくださるのです。
それをわたしがなぐさめるという妙な展開に。
わたしがショックを受けていないので、その方は次第に「強い人ですね」とムッとする始末。
もうどうしたらいいのやらと、その後高熱が出てしまった、まだ若くて可愛いわたしでした(笑)。
電話で知らせてくださった方には大変申し訳ないですが、
これも、茶番劇だとしたらすごいことだなぁと、何度も思いました(笑)。

この一件で、自分のコミュニケーション能力の無さを思い知ると同時に、そんな”いぢわるな能力”はいらないし、自分が嫌だと思ったことはやらない方がいいという当たり前の決意を新たにしました。
台湾の彼女の”明るさ”に触れたことも、大きな力になったと思います。。。

ただ、騙されないようにするにはどうしたらいいのか?
ということについては、ずっと頭の片隅にありました。
それが今、まさに日々の様々な「知る」という行為の中で息づいてきています。

沖縄基地問題もそうです。
ここへきて、遅まきながら沖縄は日本のすべてが凝縮されているのだと思うようになりました。



標的の村」の中で、わたしは沖縄の人々の唄があまりにもステキで思わず涙があふれました。
その細胞までもが震えるような、柔らかくて迫力ある踊りに強さをもらいました。
屈しない精神とは、何も眉間にシワを寄せることではなく、歌い、踊り、生きることなんだと思いました。
映画「標的の村」を観て。_e0150495_13484180.jpg


さて、この上映後、屋良朝博さんの講義がありました。
沖縄の真実を追いかけてきた方の、客観性のある講義はもっと聞いていたいほど面白かったです。
ツイキャスで配信もしたのですが、手作りの素晴らしい資料もいただいているので、
文字起こしをして、この後のブログにアップしたいと思います。
by normalin | 2014-06-22 13:51 | MOVIES
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