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クリスマスの日に火を灯す。

昨日、わたしはYOGAのワークショップなるものに初めて参加した。

Nao先生X'masスペシャル「聖なる火を心に灯す」~アグニマントラを使ったフャイヤーメディテーション~
【内容/Contents】 
このワークショップは、聖なる火AGNIのマントラを唱える事と簡単な動きを使って、心を静め、その澄んだ状態の心に聖なる火を灯すプロセスを行います。
ワークショップの前半では、滞った気を取り除く呼吸法や、体を活性化させる簡単な動きを使って、穏やかで目覚めている心身の準備をします。後半は、聖なる火AGNIを讃えるマントラを使って、私たちの心の中にその火を灯していきます。それぞれの心の中に、聖なる火が宿った後は、その恩恵を世界に祈りと共に届けます。
クリスマスの日に、一番素敵なプレゼントを送るとしたら、それは、私たち一人一人が自分の心に暖かい光を灯すことで、周りの全てにその光を届けることではないでしょうか?


Nao先生は、TTの『ヨーガスートラ』の講義でお世話になった。
その”面白さ”と、マントラを歌う本場仕込の発音とその迫力ある声に
すっかり魅了されていたので、すぐに申し込んだ。
最近、わたしは寝る前に『ヨーガスートラ』の解説書を少しずつ読んでいる。

現代人のためのヨーガ・スートラ (GAIA BOOKS)

グレゴール・メーレ / 産調出版


ワークショップの前日、その本に「ネルソン・マンデラ」の名前が出てきて
高校生の頃、彼の演説に感動し、その英語を丸暗記したことを思い出した。。。
当時は、U2が大好きで彼らがマンデラ氏に捧げる歌を歌っていたことも
ついでに思い出しながら、今自分がこうしてYOGAと関わっていることの
不思議な気持ちを感じていた。

ワークショップが始まる前、Nao先生は「葉っぱ」に火をつけ、
その葉から立ち上る煙を丁寧に室内に巻いていた。
それは、ネイティブアメリカンの「聖なるパイプ」にも通じている「浄化」の儀式。

そして、厳かに始まった。
冒頭、Nao先生がネルソン・マンデラの言葉を読んだのには驚いた。
アメリカを一人旅した昔の自分の姿が浮かび
ただ、ただ、何かを求めていたあの頃の自分を
抱きしめたい気持ちになる。。。

ところで、TTが終わってからというもの、わたしはほとんどアーサナを練習していなかった。
気が向いたときに一つか二つのアーサナで身体の調子をみるくらい。
それが良かったのか、昨日のアーサナは身体の「毒素」が
思う存分出たような気がする(笑)。
そこに汗をかく激しさも何もない。
ただ、吐くことに集中して身体の中の毒を出してゆく。
「浄化」という言葉を体感する。
気持ちいいというより、そこにあるものは
自分自身ではない「身体」。
軽くて、小気味いい「身体」。

ろうそくに火を灯し、円陣をつくって火を見つめる。

「まず、火に感謝をします。」

火に感謝なんてしたことがない。
とりあえず、時には嫌々ながら作る食事の支度を思い起こしてみる。

「火を身体の中にどのように灯したいのか、明確にしてみてください。」

明確に。。。
これはわたしにとって難しい。
わたしは、普段とても曖昧に物事を考えているから。
「穏やかな火を灯したい」
と願う。

火に向かって両手を差し出し、マントラを1回唱え
チャクラと呼ばれる、身体の芯の部分に
その火を灯すようにイメージしながら、両手を身体のその部分に持ってくる。
7つのチャクラ全てに、それを行う。

そして、いよいよ、ハートに火を灯す。
低めの声でマントラを12回唱えた。
何のことは無いと思っていたわたしは、下腹部に熱さを感じ
マントラを唱えながら、涙が落ちた。
悲しいのでも苦しいのでもない。
ただ、マントラを唱えることが出来なくなってしまった。
「毒素が燃えて、嫌な感情などが沸き上がったりすることもあるから
そうなった場合は、これから離れるように」
というNao先生の注意があったのだが、これは離れたほうがいいのだろうか?
そう思いながら、マントラを唱えることをしばし止めてみた。
12回が終わり、
今度は少し声を高めにして、また12回のマントラが始まった。
今度は、とても気持ちがいい。
胸の中に暖かさが充満していくようだった。
そして、最後。
さらに高い音程で12回のマントラを唱える。
バイブレーションを感じて、少し高揚した気持ちになった。
もっと唱えたいと思ったところで、終了。
シャバーサナになり、Nao先生の鎮静させるマントラを聞きながら
ワークショップは終わった。

帰宅して、今年の重大ニュース番組を見ていた。
ニュースはもちろん「現実」ではある。
けれど、何故かそれが幻想にも思えた。

ヨガの哲学と、遠く離れたネイティブアメリカンの儀式、
同じような考えを持っていたことは興味深い。
そして、日本人もかつては自然に敬意をはらって生きてきた。

これからは、退化してゆくことが進化なのかもしれない、と
そんなことを考えたクリスマスの日。
FMから流れたジョン・レノンの「Happy Christmas」がしみこんだ日。
もがいていた過去の自分と繋がり、「よしよし」と頭を撫でた日。

下腹部が熱くなったのは
数年前、病で取り去ったあの臓器の名残だとしたら、
それにも「ありがとう」と言いたい。。。

OM RAM AGNAYE NAMAHA
# by normalin | 2010-12-26 09:50 | YOGA

破壊

昨日は、息子の入院している病院に行った後、
成瀬貴良先生のYOGAクラスに参加してきた。
ずっと参加してみたかったのだけど、やっと。。。
これも息子のおかげかもしれないなんて、
何でもそう考えるクセが最近ある。

ヨガのTTがそろそろ終わりに近づき、わたしはどこかで
かなり焦っていると思う。
口頭だけで誘導してゆくことは相変わらず下手だし
自分の練習さえ、もしかすると力ずくなんだと思う。
「下手」なんてことを思わないようにしているつもりだけど
どこかで、いや、かなりその思いを押し殺しているのだと思う。

そして、わたしは力ずくが上手なのだ(笑)


電車が事故で遅れ、バタバタと成瀬先生の前に
マットをしき、汗をぬぐうわたしの前で
先生は、ずっと静かに座り、目を閉じてらした。
いつも、多人数のクラスでヨガをしているわたしには
少し気後れしてしまうくらいの少人数。そして静けさ。

ゆっくりクラスが始まり、ゆっくり身体を動かしてゆく。
次第にどんどん内側に入り込んでいった。

「力ずくでやるのではないですよ。。。」
という先生の言葉に、ハッとし、どんどん力が抜けてゆく。
毒素がどんどん出てゆくような感覚。

アーサナの時に出来てきたと思っていた呼吸さえ
わたしは力ずくでやっていたのだと気付く。

とろけてしまう感覚と共に、身体が離れては
フワッと寄り添ってくる、を繰り返す。
感情がどこにも見当たらない。

身体のすみずみに新鮮な空気が流れ込み
細胞の隙間が感じられるようなそんな感覚。

シャバーサナの時だった。
先生の言葉を聞きながら、ゆったりとしているはずのわたしは
急に「地震」を感じた。
こんなに揺れているのに、何故皆は何も反応しないの?
恐怖で心臓が飛び出そうになる。
目を開けてしまった。
呼吸が乱れる。

再び、先生のゆったりとした言葉が聞こえ
そして「揺れ」もおさまった。
そして、わたしはまた心地よく。。。

あれはなんだったのだろう?

昨日は地震なんてなかったらしい。
そうか、自分で揺れていただけなんだ。

昨日、わたしの中で何かの「破壊」が起こったのかもしれない。

「力ずく」で頑張る何かが、飛び出していった「揺れ」なのだとしたら
なんて、ちょっと思う。

何かを手放すときは、
恐怖が付きまとうものなのかもしれない。
昨日は、味わったことのない恐怖だったが
すぐに過ぎ去った。

そうか、大丈夫なんだ。

と思う。

ところで、シヴァ神というインドの神様は
「破壊」の神。
昨日、わたしは出逢ったのかもしれない、なんて思ったりしている。
現状を「維持」してゆこうとしがみつくわたしに。
力ずくで維持してゆこうとするわたしに。

神がかりで大げさな意味ではなく、
ただ、そういうことが起こっただけなんだ。
# by normalin | 2010-11-25 09:47 | YOGA

こころを開く

今日も、親しい友人にヨガクラスの時間をいただきレッスンを終えてきた。
彼女とは、子どもを介して知り合い、そして趣味なども共有できることで
この数年、ずっとお付き合いをしてきた。
実は、ヨガも彼女と一緒に始めたのだけど。

胸を開くアーサナを中心に、昨晩考えたシークエンスを少々たどたどしく(?)
追ってゆくわたしに、彼女は優しい眼差しで応えてくれた。(堪えて?笑)
時間はあっという間に過ぎてしまい、最後にリストラティブという
道具を使ったアーサナをしていたとき、5分のホールドが耐えられなくなった彼女は
自分で起き上がってしまった。
リラックスを促すために使用したアイマスクの状態が恐かったと言う。
謝る彼女に、申し訳なかったと思いながら、わたしはちょっと嬉しかった。
嬉しいというのは語弊があるかもしれないが
「恐い」と口にしてくれたことが、何となく母性をくすぐられたというか。
思春期の子持ちの身ではあるけれど、
他者へ抱く母性というものは、なんてあったかいんだろうと思ってね。
ふいに襲ってきたからこそ、自分でも確認できた心の動きだったのかもしれないけれど。

家に帰り、彼女の恐怖を想像し、少しだけ涙ぐんだ。
それは、きっと自分の中にも存在しているのだとも思う。。。

Nちゃん、貴重な時間を、どうもありがとう。
# by normalin | 2010-11-05 14:08 | YOGA

かもし出されるもの

初めて人と出会ったとき、そこにある空気が心地よいかどうかを
意識外で感じているものだと思う。
とはいうものの、心地良いと感じていた人と付き合いが深くなるうち
意見の食い違いが出てきては、思っていたような人じゃなかった、
なんていう経験もあるわけで。
それは全て「自分」の心地よさだけに満足したいからなのだろうと最近思う。
しかし、その満足は長続きはしない。。。

近頃、人の顔に対する印象がずい分変化した。
顔だけではなく、そのスタイルや洋服の印象も。
全てがその人の目の輝き一つで見えなくなってしまうのだ。
言い換えれば「目」以外はどうでもいい、というか。
もちろん目が大きいとか小さいとか、そんなものも関係ない。
魅了される人ほどその人がどんな姿だったかが思い出せなかったりする。

先週、ヨーガ学派の根本経典ともいうべき
『ヨーガ・スートラ』概論の講義を受け持たれた先生はまさにそんな方だった。
日本女性だが、もう彼女の前にはそんな国籍も、
そして性差さえ関係ないと思えた。言いすぎかな?(笑)
話はユーモアたっぷりで愉快だし、優しさに溢れていて、
押し付けがましいところがみじんもない。
講義が終わると、誰もが満足した表情だったのが忘れられない。

YOGAにも、様々な’流派’が存在する。
アイアンガーヨガvsアシュタンガヨガで、サッカーの試合をした際、
殴り合いの喧嘩が起こってしまったこともあるとかなかったとか。

「勉強を進めてゆくうち、YOGAのスタイルに固執してしまい、
YOGAの本質が見えなくなることが、きっとあるでしょう。
そんな時は、これを思い出し、立ち返ってみてください。」と
先生は、本場仕込みの美しい発音のサンスクリット語で
ヨーガ・スートラ第一章第二節のタイトルを唱えた。
私たちもその後に続き、数回唱えた。

「ヨーガとは心のはたらきを死滅させることである。」

自分を満足させるだけの生き方では、人を満足させられないだろう。
でも、心底自分に満足できていなければ、人を満足させられないだろう・・・。
魅力ある人は、きっとその満足を知っているんだろう。
だから、人を「安心」させ、心地良くできるんだ。
姿が気にならなくなるくらい居心地のいい人。
そんな空気をかもし出す人に、憧れてしまう。

そういえば、7年前に聴きに行ったフジコ・ヘミングウェイのピアノは
ピアノという楽器をも忘れてしまうほど、
フジコさんという人が演奏しているのも見えなくなってしまうほど
心地よく、そして何故か涙が出たっけ。
その人の生き方そのものが伝わってくるとは、そういうことなのかもしれない。。。

Nao先生の講義の様子
# by normalin | 2010-11-04 12:29 | YOGA

見せること。

ティーチャーズトレーニングの2回目が過ぎ”伝える”ことの難しさを感じている。
ポーズを口頭だけで誘導すること、それを易しい言葉に置き換え表現しようとするたび
自分の語彙力、いや、表現力の乏しさを痛感している。
けれど、それは語彙力の問題だけではないはず。
そう、わたしはまだまだ理解をしていないのだと恥ずかしくなっている。
前に「理解」についての話を書いたけれど、
理解とは”相手”なしでは深まらない。と、また当たり前のことを思ったりしている。
いや、恥ずかしながら、わたしはずっと自分の中だけで処理をしようとしていたらしい。
自分の中だけで完結しようとすれば、何も難しいことはなく、
また心が揺れ動くこともないものね。
そう、心が動かされることを恐れていたんだと思う。
だって、静かに過ごしていたいもの。
争いたくないもの。
そして、わたしは自分を「平穏」な人間だと思いこんでいた。
そのほうが生活しやすいと思ったし、心がかき乱されて辛い思いをしないですむし。
でも、それは違ったようだ。
ただ、わたしは体裁だけ気にしていたんだろう。
そうやって「ポーズ」にしがみ付いて生きてきたわたしは、
すでにそういうやり方がしみこんでいるらしく
なんともいえない「迫力」が出ているのか(苦笑)
(それはそれで生まれつきの性質もあるのだろうが)
ティーチャーズトレーニングを一緒に学ぶ友からは大抵
「もう、教えているんですか?」と聞かれる。
最初は、そんな風に見えるんだ、年のせいかな?と思っていたものの
近頃はそれが恥ずかしい。
きっとわたしはどこかで「先生」というポーズでいるのかもしれないと思うからだ。

前回の講義の中で、わたしが好きな先生がこう言った。
「YOGAを伝えるということは、あなたの生き方をそのまま見せるということです。」

恥ずかしい、なんて言ってられない。
と思った。
そして、他人をありのまま理解することにも恐怖を感じている場合じゃない、と。
# by normalin | 2010-10-06 19:56 | YOGA